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アフリカに渡った元Jリーガーの執筆コラムvol.1「僕にとっての『サッカー』とは―」

今、遠いアフリカのピッチでサッカーボールを追い続ける一人の元Jリーガーがいる。中町公祐、34歳。横浜F・マリノスで7年間在籍した名ミッドフィルダーは今年1月、クラブの2年契約のオファーを辞退し、無名のザンビアリーグに移籍を表明した。驚きの決断はサッカーファンに反響を呼ぶことになった。

マリノスを離れ、ザンビアに渡った中町公祐【写真:本人提供】
マリノスを離れ、ザンビアに渡った中町公祐【写真:本人提供】

異色の人生を歩む元横浜Mの34歳MFが自らつづる新連載「中町公祐アフリカ挑戦記」

 今、遠いアフリカのピッチでサッカーボールを追い続ける一人の元Jリーガーがいる。中町公祐、34歳。横浜F・マリノスで7年間在籍した名ミッドフィルダーは今年1月、クラブの2年契約のオファーを辞退し、無名のザンビアリーグに移籍を表明した。驚きの決断はサッカーファンに反響を呼ぶことになった。

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 振り返れば、群馬屈指の進学校・高崎高校から湘南ベルマーレ入団と同時に慶応大学に入学。Jリーグの第一線でプレーしながら、現在は人口1700万人のアフリカ南部の国でプレーする。傍らでは、サッカーと医療でアフリカ地域支援を行うNPO法人「Pass on」代表理事を務めるなど、活動の幅は広がっている。

 異色のサッカー人・中町公祐は今、アフリカで何をしているのか。なぜマリノスを離れ、なぜザンビアに渡ったのか。34歳で初めて挑戦した海外で何を想っているのか。

「THE ANSWER」では本人が独自の道を歩んだ人生を振り返り、自らの言葉で想いをつづる連載「中町公祐アフリカ挑戦記」を始動する。シーズン終了まで毎月届ける全9回。第1回は「僕にとっての『サッカー』とは」――。

 ◇ ◇ ◇

 強烈な日差し、日本と異質の暑さを感じながらこのコラムを書いています。

 場所はアフリカ大陸のザンビア共和国。まるで違う生活環境。言語や宗教の違い。現役選手である中、なぜ自分の手で書くという形で発信するという形を選択したか。情報が溢れている昨今の世の中、自分の言葉で一人のサッカー選手としてのリアルをお伝えしたいと思ったからです。

 計9回に渡り、様々なジャンルをテーマに真摯に言葉を選んでいきたいと思います。

 2019年1月2日。自分の公式インスタグラムで7年間在籍した横浜F・マリノスに別れを告げる報告をしました。

 思えば幼少期の頃、小学2年当時にJリーグが開幕し、サッカーにのめり込んでいた少年だった自分はJリーグという未知の世界に目を輝かせ、その舞台に自己を投影し、いつか自分もプロサッカー選手になるという目標を日に日に強めていった記憶があります。

 2歳年上の兄はヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ1969)、私は横浜マリノス(現横浜F・マリノス)のキャップを被り、様々なグッズを集め、テレビゲームでは幾度となく、そのカードで対戦させていました。

 中町公祐というサッカープレーヤーの中で横浜F・マリノスというチームはそれほど大きい憧れのチームだったのです。

 その横浜F・マリノスに幸運に7年間も在籍することができ、惜しくもリーグ優勝は叶わなかったものの、2013年には天皇杯優勝。2014年からは選手会長にも任され、クラブやサポーターから深い深い愛情をもらった在籍期間であったと強く確信しています。

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中町 公祐

1985年9月1日、埼玉県生まれ。高崎高(群馬)を経て湘南に入団。同時に慶大に入学し、08年から2シーズンは大学でプレー。10年に福岡に加入し、12年に横浜Mに移籍。13年は天皇杯優勝に貢献し、同年のJリーグ優秀選手賞を受賞。翌年から選手会長に就任した。19年1月からザンビアのZESCOユナイテッドFCに移籍。同国ではサッカーと医療でアフリカ地域支援するNPO法人「Pass on」(https://pass-on8.net/)の代表理事を務め、幅広い活動を行っている。174センチ、74キロ。Jリーグ通算341試合出場、35得点。

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