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最強の甲子園V投手は死んでいない 二刀流、手術、結婚 吉永健太朗、8年後の夏の真実

24歳で結婚、都市対抗から目指す復活「結果で見せるしかない、『吉永はまだいるぞ』って」

 実は、もう一人、復活を支えてくれた人がいる。昨年12月、早大の同級生でチアリーダーを務めていた涼子さんと交際6年を経て、結婚した。24歳。「日大三の同級生で2番目です」という若さだったが、人生をかけて支えていこうと決意し、プロポーズ。生涯の伴侶を得た。その存在が支えになっていたのは、吉永にとっても一緒だった。

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「大学時代から応援席でずっと見ていてくれた。肩を怪我して『右がダメなら、左で投げたら?』って言うくらい、野球のことは知らないけど(笑)。去年は夜から1人でリハビリをして、土日は休みなく練習に参加して、心が折れかけた時、一番に自分の体を心配してくれていた。いい時も悪い時も側にいてくれて、ずっと支えになっていた」

 背番号30から11に変わり、迎えた社会人4年目。「投手・吉永」として再び歩き始めた。長いブランクを経た道のり。いいことばかりではない。「感覚は良くなっている。万全になれば、150キロ近い球を投げられる」と手応えは深まっているが、状態は不安定。だからだろう。「今、野球は楽しい?」と聞くと「普通、ですかね」と言った。

「楽しい以上につらい。今日も投げられるかな、という不安が常にある。自分の肩なのに、投げてみないとわからない。痛くても投げないといけない日もあるから」。これが、偽りない現実だった。もうシンカーを投げることはできない。甲子園の映像を見ても「他人を見ている感覚」と言う。「今はプライドも何もない。使える球種を使うだけ」。勝負球はチェンジアップに変わった。

 甲子園から、長かった8年間。ずっと応援してくれる人もいれば、そうじゃない人もたくさんいた。実際、雑音も耳にしてきた。その一つが「高校生の時にプロ志望届を出していれば、変わっていたのではないか」というファンの“タラレバ”たった。敢えて今、その問いをぶつけた。「あの夏だけを見れば、そう見る人がいるのはわかる。だけど……」。そう言って、言葉を紡いだ。

「3年間を通してフォームは探り探り。たまたまタイミング良く、最後にハマっただけ。絶対的な自信があったわけではないし、選択が間違いだったとも思わない。今は選んできた道が良かったと思えるようにやっていくしかないので」。変えられるものは過去ではなく、未来にある。できることは今、持てる100%でマウンドに立つだけ。そう、心に決めて、野球と全力で向き合っている。

 自分の存在を示すため、立ちたいマウンドが目の前にある。都市対抗大会の初戦となる2回戦・ヤマハ戦を明日19日に迎える。東京Dのマウンドから、その先の未来にどんな景色を描いているのか。

「もう、自分の終わりが近いということはわかっている。そう感じて、野球に対する考えも変わった。将来のことは見ていない。1年1年が勝負。今年良くなければ、来年はもうない。都市対抗で投げること、怪我をしないこと。目の前だけを見て、それが積み重なった結果、3年先、5年先も野球ができていたらいい」

 甲子園の輝きには、まだ及ばないかもしれない。それでも、今なお、気まぐれな肩と付き合いながら、必死にもがき、苦しみ、目指している復活。「高校、大学で『終わった』って言われるのは、やっぱり悔しいので。だから、結果で見せるしかない。『吉永はまだいるんだぞ』って。もう一回、花咲かせたいですよ。後ろは向かないって決めたので」と笑い、ふっと視線を上げた。

 最強の甲子園優勝投手は、死んでいない。吉永健太朗、25歳。8年後の夏の真実が、ここにある。

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 この記事は「THE ANSWER」と「Full-Count」の連動コラムです。本日夜に「Full-Count」でJR東日本・堀井哲也監督が語る「吉永復活の知られざる秘話」を配信します。

(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)

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