沿道からの“予想外の声”に号泣 ケガにも泣いた19年、「もうダメかも」の迷いを消し続けられたワケ――競歩・岡田久美子

「切羽詰まった状態」から日本記録で一気に好転
岡田は解剖学の研究者の下、改めて骨格や筋肉の作用を学び、姿勢や呼吸を見直すことから始める。治療やエクササイズに取り組み、故障の要因となったゆがみの改善にも努めた。そして、いよいよ24年2月に迫る選考レースを前に、元旦競歩にエントリーする。
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「体が良くなっている実感はありましたが、練習量が足りないという不安もつきまといました。レースが近づくにつれて怖くなり、またケガをしたらどうしよう、やっぱり出場しないほうがいいのかなと、本番の2日前までグジュグジュ言っていましたね」
本人曰く、当日は「切羽詰まった状態」でレースに出場。ところが、ふたを開けてみれば絶好調。女子10キロ競歩の日本記録を叩き出した。
「距離はわずか10キロ。でも、歩いている途中から、これまで支えてくれた人たちの顔が次々と浮かんできました。そうしたら『このままじゃ終われない!』と今までにない闘志が爆発。途中からめっちゃスピードが出て、止まらなくなりました」
そしてラスト1周。「日本記録が出るぞ!」という声が聞こえると、目の前がパッと明るくなった。
「ケガをした8月からずっと、辞める、辞めると泣いてばかりいて、暗闇のなかにいる気分でした。でも一気に目の前が明るくなり、『え、そうなの? よし、頑張るぞ!』と、急にポジティブな人間に変わったんです(笑)。ゴールした瞬間は、『よし、このままパリに行けるぞ!』という気持ちになっていました」
その後、パリ五輪代表選考レースとなる2月の日本選手権で、派遣設定記録を突破。言葉どおり、五輪出場を決めた。そしてパリ五輪では男女混合競歩リレーに川野将虎(旭化成)と出場。悲願の世界大会8位入賞を果たした。
「パリ大会前、池田向希選手(旭化成)と出場した世界チーム競歩選手権で2位になり、『本番もメダルが欲しい』という気持ちになりました。もちろん、メダルが獲れなくてすごく悔しい。でも、トップ8という大きな目標を達成した喜びもあった。だから気持ちは、嬉しさと悔しさの半分半分かな」
「五輪を目指す選手であるならば、現実はどんなに遠かったとしても、メダルは目指すべきもの」。これは岡田が現役時代、常に口にしていた言葉だ。
パリ五輪後しばらくすると、岡田は東京で開催される25年の世界陸上に向けて気持ちを切り替えた。「最後はこれまで応援してくれた人たちの前で、メダルを獲って終わりたい」。その気持ちがモチベーションになった。
「もう34歳。はたから見れば、メダルは難しいというのが現実です。でも、最後までプロの競技者として『強くなりたい』という気持ちを忘れずにやり尽くそう、と覚悟を決めました」
世界陸上の選考レースとなる25年2月の日本選手権では、自身のセカンドベストを記録。「最後の最後まで出し切りたい」強い気持ちが、またもや好タイムを手繰り寄せた。
「30歳を過ぎて、27歳の記録に次ぐ記録が出たのはやっぱり大きなこと。『諦めずにやってきて良かった』と、素直にすごくうれしかった。
その後の7か月は長かった。順調な時もあれば疲れで踏ん張れない時もあり、改めてピーキングの難しさを感じました。でも、できることはすべてやり尽くした。パリ後の1年間は、本当に頑張ったと思います」
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