強豪の誘い断り…異例の2部挑戦 ラグビー界サプライズ人事、大学日本一「八幡山のタイソン」の決断
7シーズンぶりにラグビー大学選手権を制した明治大学で活躍したFL最上太尊(たいそん)が、日本製鉄釜石シーウェイブズ(SW)での挑戦を決めた。U20日本代表でも活躍して、多くの強豪チームも獲得を目指したバックローだが、進路に選んだのは岩手・釜石に拠点を置く、リーグワン2部に相当するディビジョン2の古豪だった。1970-80年代には新日鐵釜石ラグビー部として日本選手権、全国社会人大会7連覇を遂げたが、2001年のクラブチーム化以降は苦闘が続く“北の鉄人”を、将来日本代表も期待される逸材はなぜ進路に選んだのか。その思いを聞いた。(取材・分=吉田 宏)

大学選手権Vの明治大FL最上太尊、日本製鉄釜石シーウェイブズに挑戦
7シーズンぶりにラグビー大学選手権を制した明治大学で活躍したFL最上太尊(たいそん)が、日本製鉄釜石シーウェイブズ(SW)での挑戦を決めた。U20日本代表でも活躍して、多くの強豪チームも獲得を目指したバックローだが、進路に選んだのは岩手・釜石に拠点を置く、リーグワン2部に相当するディビジョン2の古豪だった。1970-80年代には新日鐵釜石ラグビー部として日本選手権、全国社会人大会7連覇を遂げたが、2001年のクラブチーム化以降は苦闘が続く“北の鉄人”を、将来日本代表も期待される逸材はなぜ進路に選んだのか。その思いを聞いた。(取材・分=吉田 宏)
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大学日本一から北の鉄人へ――。“八幡山のタイソン”が、新たな進路を岩手・釜石へ向けた。釜石SWが最上の入団を発表したのは、大学選手権優勝から3週間後の2月2日。多くのラグビー関係者にはサプライズの人事だったが、本人の思いは1年以上前に決まっていた。
「最初はちょっと迷ったけれど、3年生の大学選手権が終わった後にもう決めたという流れでした」
望めばディビジョン1で上位争いを展開するチームとのサインも、そう難しくはなかったはずだ。本人は「ちょくちょくお声がけはいただきました」と控え目に話したが、実際に複数の強豪が獲得に関心を寄せていた。それでも釜石を進路に選んだ決断はそう難しいことではなかったという。
「今の僕があるのは東北でいろいろな人に支えてもらったからだなという思いで決めました。恩返しという気持ちもあって、釜石でプレーして地域を盛り上げられたらいいなというのが一番の思いです」
太尊自身は秋田で生まれ育ち、高校時代は仙台で過ごした。大学4年間は世田谷・八幡山で都会の生活を満喫したが、そのルーツは釜石にある。
「釜石は父の出身地です。釜石で生まれて、秋田でラグビーをやっていたんです。なので僕も釜石には何度も連れて行ってもらいましたし、町の雰囲気はわかっています。釜石がどんな町かですか? カモシカがいっぱいいる町ですね。僕は都会よりも結構自然のほうが好きなので、落ち着けるなという印象ですね」
すこしおどけて新天地のイメージを語ったが、駅前に掲げられた「鉄と魚とラグビーの町」というメッセージが人口3万程のこの町をよく表している。三陸沿岸の小さな漁港だった釜石は、明治維新を経て製鉄の町として栄えた。同時に、太尊が語ったように、リアス式特有の海岸線から競り立つような山々に抱かれる自然豊かな土地だ。「東北」への拘りは、自身も小学校低学年の時に秋田で被災した東日本大震災も影響する。「これでいて結構ビビりなんです」と語る太尊だが、長く続いた断水や停電などの辛い経験も、東北への思いを強めることになった。
身長185cm、体重105kgのサイズは、世界レベルの選手も大挙入団するリーグワンのバックローとしては決して大きくない。だが、大学ラグビーの頂点まで上り詰める中でみせたフィジカルパフォーマンスや、U20代表で経験した国際舞台でも接点の強さ、ボールキャリーの推進力は証明してきた。昨年12月に25-19で競り勝った伝統の早明戦では、ゴール前密集から相手防御をパワーでこじ開けて奪った2トライが真骨頂だ。
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