ラグビー界に衝撃が走った譲渡劇 激動4か月の内幕、候補8社から「NEC→JR東日本」はこうして決まった
チーム譲渡の危機から、来季JR東日本傘下のチームとして再始動するラグビーリーグワン2部のグリーンロケッツ。前編では社員選手として34歳になった今季もプレーを続けるFL大和田立の思いを聞いたが、チーム幹部はどんな思いで移譲を受け止め、チーム存続へ協議を進めてきたのか。選手、監督としてチームに携わり、日本代表、リーグワンでも運営サイドで尽力してきた太田治GM(ゼネラルマネジャー)に話を聞く。

太田治GMに聞くグリーンロケッツ譲渡の裏側
チーム譲渡の危機から、来季JR東日本傘下のチームとして再始動するラグビーリーグワン2部のグリーンロケッツ。前編では社員選手として34歳になった今季もプレーを続けるFL大和田立の思いを聞いたが、チーム幹部はどんな思いで移譲を受け止め、チーム存続へ協議を進めてきたのか。選手、監督としてチームに携わり、日本代表、リーグワンでも運営サイドで尽力してきた太田治GM(ゼネラルマネジャー)に話を聞く。
【注目】日本最速ランナーが持つ「食」の意識 知識を得たからわかる、脂分摂取は「ストレスにならない」――陸上中長距離・田中希実選手(W-ANS ACADEMYへ)
◇ ◇ ◇
名称は変われどチームの存続は決まった。GMとして大きなハードルを乗り越えた太田治はこう振り返った。
「なによりシーズン開幕前に決まったことが良かったという思いでした。未確定のままのスタートだと、選手にとってはモヤモヤしたものがあったはずですから。次があるというのは彼らのモチベーションを含めて、チームを預かる側としても非常に有難かった。12月中に決まればいいと思ってはいましたが、こればかりは2つの企業間での遣り取りでしたから。喜㔟陽一社長を始めJR東日本側のご配慮、NECの森田隆之社長もよく社内をまとめていただいて、考えた以上に早く決まったのは安心しました」
名門・秋田工高―明治大学と大型PRとして活躍。日本代表でも1991、95年ワールドカップに出場と、選手としての足跡を残してきた。NECでは監督としてチーム初のタイトルも獲得するなど、その足跡は“ミスターグリーンロケッツ”とも称していい。その後、日本ラグビー協会へ出向して日本代表GMやリーグワンでも常務理事を務めるなど、グラウンド内外の様々なポストでラグビーに関わって来た。古巣のグリーンロケッツGM就任2シーズンで今回の譲渡話に直面したが、実際はマネジメント幹部ポストながら寝耳に水の出来事だったという。
「僕の場合は社員としての復職ではなくGMとしての(専従)契約ですから、本社の役員レベルで話し合われていた移譲話はなかなか降りてこなかった。でもNECで育ってきた人間ですから、最初は『本当なのか』という思いでした。僕がリーグ(トップリーグ、リーグワン)側に居た頃からチームの成績がなかなか上がっていなかったことや薬物問題など厳しい状況は確かにありました。チームに戻り、すこし時間をかけて強化を進めようという話もありましたが、事業というのは生き物のようなもので様々な要因で方針も変わってしまう。ただ、最初に移譲の話を聞いた時は実質3か月でまとまるのは難しいのかなと感じていました。でも、(チームを手離すことが)決まったのなら皆でなんとか実現しようという思いで協議してきたんです」
実際には1年ほど前からNECサイドでは移譲という選択肢も模索されてきたが、その決断のタイミングは現場サイドには直前に知らされたという。ラグビー界で過去にチームが消滅したケースは、譲渡先が決まらず廃部という流れだったが、今回は適切かつ迅速な情報公開がプラスに働いたという。
「結果的に、早い段階で譲渡を検討することを発表出来たのが良かったですね。過去の事例だと発表した時点でチーム消滅がかなり確定的といったケースもありましたが、今回は早めに発表出来たことで様々な企業からの問い合わせもあり、結構興味を持っていただいているという印象でした。情報公開もですが、スポーツというのは力があるんだなと実感していました」
譲渡のための企業間の話し合いはNEC本社サイドが主導権を持って行ったが、その中でGMという立場で強く求めたことがあった。
![[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト](https://the-ans.jp/wp-content/themes/the-answer-pc-v2/common/img/logo_c1.png)









