ラグビー日本一3度の名門、消滅危機 「中学まで帰宅部で…」12年一筋の社員戦士が燃やした愛、恩、繋がり

34歳の今もヘッドキャップに刺繍されている「美幌」
通常なら、全国区でもない高校でラグビーを始めた選手が、国内最強チームに誘われレギュラークラスで活躍するのは稀な事だが、様々な人との繋がりが大和田を後押ししてきた。そしてエリート軍団の中に飛び込んだ大和田の中では、新たな野心が芽生えていた。
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「それまでスポーツで自分が活躍するとか、日の目を見ることなんてなかった。でも、ラグビーというのは運動音痴や下手でも活躍出来るし、僕のようにスポーツをやっていなかった子でも輝けるスポーツだと思っています。高校時代に運よくオール北海道にも選ばれ、強豪校の選手と一緒にやる中で自分ももっと上手くなりたい、スポーツで、ラグビーで活躍したいという気持ちになった。帝京大に行かせてもらって、花園出て当たり前、高校日本代表や候補が沢山いる中でも、負けたくないという気持ちは強かった。田舎の出身ですけれど、すごく愛情を持って、よく育ててもらったという気持ちは常にありました」
よく育ててもらった――。その感謝の思いは、今もトップレベルの試合でプレーする大和田の姿を見れば一目瞭然だ。34歳になった今でも、トレードマークのヘッドキャップには、こう刺繍されている。
「美幌」
高校時代に使っていた母校のヘッドキャップを卒業後も使う選手は珍しくないが、リーグワンというプロ化も進むフィールドで、この齢まで故郷の町名を刺繍されたキャップを使い続けることはほとんどいない。ラグビープレーヤーとしての第一歩を踏みしめ、オホーツクの小さな町の高校生では想像出来ないような道を歩むことが出来たことへの感謝や、豊かな自然と、決して大人数ではないからこそ近くに感じる郷土の仲間たちへの愛情が、このヘッドキャップに込められている。一見すると美幌高校ラグビー部のキャップのようにみえるものだが、実は大和田だけが使う特製品だ。
「帝京大学に入った頃は、同級生からもらった違う高校のヘッドキャップを使っていたんです。それを見た美幌のラグビー協会の方が作ってくれたんです。美幌のキャップを被ってくれと。高校の本当のキャップは真っ赤なんですが、自分のは白地なんです。そこから毎年作っていただいているんです」
そんな郷土からの期待を、大声で主張することもなく、15年以上もの間“美幌キャップ”を被り続けるのが大和田立という男だ。穏やかで、物静かだが、芯に持つ頑なさが、北の大地の小さな町からやって来た高校生を、国内トップ選手へと押し上げている。
先にも触れたように社業に励みながらラグビーを続けることこそが自分の歩む道だという大和田の思いがブレることはない。帝京大の4年間では、控え出場も少なくなかったが4年連続で大学選手権決勝メンバーにも食い込み、日本一を味わった。卒業後の進路については、関心を持つ当時のトップリーグチームも複数あった。現行のリーグワン同様に、トップリーグチームを保有するのは日本を代表するような大企業揃いだったが、大和田の思いは変わらなかった。
「就職先として意識し始めたのは大学である程度試合に出られるようになってからです。幾つかのチームから声を掛けていただいて、親からはそっち(NEC以外)でもいいんじゃないかと言われたんですが、いちばん最初に声をかけてくれたのもNECだった。恩返ししたいという気持ちもあったので決めたんです」
美幌で長く合宿を張り、自分たちとも交流を続けてくれた選手たち、チームへの憧れは変わらない。いち早く声を掛けてくれたこともあり大和田に迷いはなかった。その思いが変わることなく、入社13年目の今季も黙々と“美幌キャップ”と共に楕円球を追い続けている。そんな大和田だからこそ、「NEC」という名称が“消滅”することには複雑な思いはあるが、チーム存続に目処が立ったことが何よりの吉報だった。
では、チーム運営面でのトップは、この譲渡劇をどう受け止めたのか。後編では、グリーンロケッツで選手、監督としてタイトルも掴み、日本代表、リーグでもマネジメントを担ってきた重鎮に、激動の4か月の内幕を聞く。
(吉田 宏 / Hiroshi Yoshida)
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