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ラグビー日本一3度の名門、消滅危機 「中学まで帰宅部で…」12年一筋の社員戦士が燃やした愛、恩、繋がり

中学時代は帰宅部、網走の小さな町から大和田のラグビー人生は始まった【写真:NECグリーンロケッツ提供】
中学時代は帰宅部、網走の小さな町から大和田のラグビー人生は始まった【写真:NECグリーンロケッツ提供】

「僕は中学まで帰宅部だったんです」 網走の小さな町から始まったラグビー人生

 生まれ故郷の網走郡美幌町は、道東の雄大な大地に抱かれた小さな町だ。人口は、2万席の秩父宮ラグビー場の座席数にも満たない。北見、網走の中間地点で、オホーツク地域の玄関口である女満別空港に最寄りの町だが、阿寒摩周国立公園の一部という豊かな自然が財産だ。この町でNECラグビー部が長年夏合宿を張って来たことで、普及活動の一環として地元高校生らを対象にした指導会が毎夏開催され、そこに参加したことが大和田とグリーンロケッツの出会いになった。

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「初めて教えていただいた時は、とにかく大きいなと選手のサイズに驚きましたね。その初めてのスクールで指導してくださったのが(現ヘッドコーチ=HCのグレッグ・)クーパーさんだったのも覚えています」

 初めて接したグリーンロケッツのスタッフが、「NEC」としての最後のHCというのも奇遇だが、ラグビーを始めて数か月で触れ合ったトップ選手、チームが高校1年生の憧れになるのは自然の成り行きだった。そんな毎夏限定の交流の中で、チームが大和田の可能性を後押ししてくれた。

「帝京大学進学も、NECの相澤さん(輝雄、元総監督、GM、現クリーンファイターズ山梨GM)が、母校の帝京大で指導する岩出(雅之)監督(現顧問)に『美幌高校にいい選手がいるから見てくれないか』と話していただいて、練習に参加したのがきっかけでした」

 母校の美幌高校は、大和田の在学中は1学年2組しかない小さな高校だった。ラグビー部自体も全国大会とは程遠いチームで、大学屈指の強豪ラグビー部への入学も例がなかったが、グリーンロケッツとの実質2年程の交流から可能性が広がった。

 大和田が大学1年の時の取材記憶が蘇る。東京・日野市の帝京大グラウンドで岩出監督と話している中で、全国クラスでは無名ながら可能性を秘めた選手に話が及んだ時だった。

「あの子、北海道の美幌高校出身なんやけど、いいものを持っている。とにかく真面目にやる選手だね」

 初めて見たこの道産子選手は、当時既に全国から有望選手が集まる帝京の中では傑出したサイズがあるわけでも、際立ったスピードや馬力の持ち主でもなかった。ただただ黙々とプレーを続ける姿と、同時に太腿、ヒップ周りのボリューム感だけが、エリート選手に混じっても際立っていた。

「もともとフロントローですか?」と聞くと、指揮官は「あの体で3列だよ。面白いだろ」と目尻を下げていたのが記憶に残る。岩出監督自身も日本体育大時代から日本代表に選ばれたFLだ。指導する帝京大を大学屈指の強豪に鍛えた手腕と同時に、タックルやブレークダウンなどでボールを持たずに黙々と仕事を続ける黒子のようなFW第3列への嗅覚を持つ。同じ帝京出身のバックロー姫野和樹(トヨタヴェルブリッツ)や24年度主将の青木恵斗(同)のような派手さやサイズはないが、大学最強チームの監督が大和田の仕事人としての可能性を感じていたのは大きなプラス材料だった。その巨木の切り株のような下半身は親に感謝するしかないが、大和田自身は高校時代の練習の賜物だとも言う。

「雪の上をずっと歩く特殊な練習が多かったんです。グラウンドに雪が積もると、スパイクじゃなく長靴で踏み潰すんです。それもタイヤを引きながら走ったりするので、そこで下半身が強くなり、太腿周りも大きくなったと思います」

 オホーツク地域の町はラグビーに打ち込むには最良の環境とは言い難いが、大和田が帝京大、グリーンロケッツで主力選手として活躍し続けられているのは、雪深い故郷が与えてくれた“恩恵”でもある。生徒数も部員数もささやかな町の高校での3年間は、大和田にとっても特別な時間だったのは間違いない。ラグビーとの出会いも、北海道の地方ならでは出来事が契機になった。美幌のような地域では、都市部とは違い公共交通機関も十分とはいえない広域から通学する生徒も少なくない。大和田も、親の車で通学する親友に毎朝迎えに来てもらっていた。

「僕は中学まで帰宅部だったんです。スポーツはめちゃめちゃ嫌いだったし、運動神経もなかった。でも、毎朝迎えに来てくれた同級生が、絶対にラグビーをやったほうがいいと熱心に勧めてきたんです。美幌高校は1学年80人くらいで男子も少ないので、175cmくらいの身長だった僕を誘ったんだと思います。で、迎えに来てくれるのが申し訳ない思いもあって1回だけラグビー部に行くと約束したのが、今の道に繋がっているのです」

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吉田 宏

サンケイスポーツ紙で1995年からラグビー担当となり、担当記者1人の時代も含めて20年以上に渡り365日欠かさずラグビー情報を掲載し続けた。1996年アトランタ五輪でのサッカー日本代表のブラジル撃破と2015年ラグビーW杯の南アフリカ戦勝利という、歴史に残る番狂わせ2試合を現場記者として取材。2019年4月から、フリーランスのラグビーライターとして取材を続けている。長い担当記者として培った人脈や情報網を生かし、向井昭吾、ジョン・カーワン、エディー・ジョーンズら歴代の日本代表指導者人事などをスクープ。ラグビーW杯は1999、2003、07、11、15、19、23年と7大会連続で取材。

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