陸上部が廃部…突然打診、返事は「明日の昼までだ」 ドン底から箱根常連校へ、強化した名将の転機――帝京大・中野孝行監督
来年1、2月に行われる第102回箱根駅伝は、3連覇を目指す王者・青学大、出雲駅伝を制した國學院大、全日本大学駅伝を制した駒大に加え、前回大会4位の早大と同5位の中大が“5強”を形成するが、本命不在の混戦模様。そんな中、ダークホースの一角に挙げられるのが19年連続27度目の出場となる帝京大だ。就任20年を迎えた中野孝行監督はいかにして、箱根常連校に育て上げたのか。突然舞い込んだ就任オファーを経て、指導者として貫いてきた理念、哲学を聞いた。(聞き手=佐藤 俊、前後編の前編)

箱根駅伝注目校インタビュー 帝京大・中野孝行監督/前編
来年1、2月に行われる第102回箱根駅伝は、3連覇を目指す王者・青学大、出雲駅伝を制した國學院大、全日本大学駅伝を制した駒大に加え、前回大会4位の早大と同5位の中大が“5強”を形成するが、本命不在の混戦模様。そんな中、ダークホースの一角に挙げられるのが19年連続27度目の出場となる帝京大だ。就任20年を迎えた中野孝行監督はいかにして、箱根常連校に育て上げたのか。突然舞い込んだ就任オファーを経て、指導者として貫いてきた理念、哲学を聞いた。(聞き手=佐藤 俊、前後編の前編)
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――中野孝行監督が帝京大に来られた2005年11月、チームは、どういう状況だったのでしょうか。
「NECの陸上部が廃部になった後、契約社員として仕事をしたのですが、その9月に澤木(啓祐)さんから帝京大の監督の話をいただいたんです。最初は仕事のこともあり、迷いましたね。それで『いつまでに返事すればいいですか』と聞いたら、『明日の昼までだ』って言われて(苦笑)。3年ほど陸上の現場を離れていたので、こういうチャンスはもうないだろうと思って引き受けることにしました。その後、10月の箱根予選会を見に行ったんです。8年連続で箱根に出場していましたけど、そこで予選落ちを目の当たりにしました。しかも、当時の帝京はコーチが監督代行をしていたので、その年はスカウティングで力のある新入生を取れなかったんです。予選会を走った選手が卒業して、箱根の経験者は6区を走ったひとりだけ。そんな状況でしたので、私が指揮を始めた2006年はドン底からのスタートでした」
――1年目の指導はかなり厳しくされたのですか。
「いや、新戦力もないですし、まずは選手の好きなようにやらせてみようと思っていました。練習は私がメニューを立ててやっていくなかで、1年目(2006年)の箱根の予選会(12位)は前年比で5分弱、タイムを縮めることができたんです。新戦力なしで5分も縮められたので、これは面白いなと思い、予選会が終わった後からは練習をガラッと変えました。日曜日など休みは一切なくして、とにかく走らせました。箱根に行くためにはやらないとダメでしょうという思いが私にも選手もあったので、その結果、2007年の予選会(第84回大会)は2位で通過することができたんです」
――休みなく走るとなると学生からの反発もあったのではないでしょうか。
「当時うちの大学に来ていた選手は、インターハイを走れない、走るのが苦手な子たちが多かったんです。陸上の選手だからみんな走るのが好きだと思いがちですが、苦手な子はあまり走りたくないんですよ。そういう子たちに走る癖を付けさせるには、走ることを生活の一部にすることなんです。ご飯を3食採るように練習も朝晩にやるようにして習慣付けていきました。最初は疑心暗鬼だった学生たちも2年目に予選会2位で箱根に行けた。練習をやったら出られるんだという成功体験を得たことで、その後は特に反発とかもなく、みんな練習に集中してくれました。帝京大は、今も練習量は多いと言われていますが、その時からの印象が強いんじゃないかなと思いますね」
中野監督が就任後、2年目で箱根予選会を突破し、箱根路に戻って来た。そこで得た経験とノウハウは、その後の帝京大を形作る上で重要なベースとなった。
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