工場停止のリストラ発表に「うわっ、マジか」 16年ぶり復活の日産野球部、衝撃2日後の試合で示した“存在理由”

日産だけの火事ではない…スタンドで叫ぶ男性に見た企業野球部の存在理由
伊藤祐樹監督は17日の敗戦後、テレビカメラに囲まれた。チームを預かる指揮官としては、無念の言葉が口をつく。「もう残念。それだけです。これだけ多くの日産を応援してくれる方に来ていただいた中で、勝利を届けたかった。会社の状況が厳しい中で、元気を与えるという軸足はブラさずに歩んできた。惜しかったかもしれませんが、勝って元気にするきっかけを作りたかった」。ただ、2009年の休部時に感じていた無念は、少しだけ晴らすことができた。野球部と従業員の間に距離ができていたのも、休部の一因ではないかと思っていたのだ。
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「この大会では、現役の時もこれほど応援していただいたことはないというくらいの声援を頂きました。会社が厳しい状況での野球部復活に、いろいろ言われるのではという不安はありましたが、皆さん野球部を待ち望んでいたんだというのを感じられた。その中で、どんな相手にもやり返したり、ついていって、粘り強く戦うという姿は見せられたのではないかと思います」
日産野球部が復活早々に見舞われている苦境は、他の企業チームにとってもひとごとではない。この日は勝った東芝も、2017年度に連結純損益が9656億円の赤字に達する経営危機に陥った。事業を切り売りしての再建を経て今があるが、その中でも野球部を手放すことはなかった。経営危機当時は一選手だった大河原正人監督の言葉からは、大企業が野球部を持つ意味が浮かび上がる。
「まず野球をできることを幸せに思いなさいと。選手にはそう言っています。あと、会社の人間がこれだけ集まる場って、他にないじゃないですか。大きい声で自分の会社の名前を呼び、肩を組んで歌う。世界で日本にしかない文化ですが、一つの同じ方向を向くという効果はあると思っています。私たちはプロじゃない。野球でお金をもらうわけではないからこそ、そう思っています」
話は日産に戻る。7月2日、甲斐府中クラブから復活後の公式戦初勝利を挙げると伊藤監督は言った。「今までの50年の歴史にプラスして、これから長く続く野球部の出発の日だと思います。休部になる前の野球を継承した戦いでした」。相手にスキあらば仕掛け、自分たちは決してスキを見せないのが休部前の日産野球。今の選手たちが走塁で、そのチームカラーを引き継いでみせたことに満足げだった。
2年前、新監督就任が決まった時から「この会社にはチャレンジが必要。野球部がまず、その姿を見せたい」と口にし続けてきた。苦境にある会社が前に進む時、膨大なエネルギーが必要になる。集団が同じ方向を向けなければ、コトは起こせない。野球部はそこに、小さな火をつけることができるのだ。
17日の敗戦後、ベンチ上のネットにしがみついて叫んでいる男性がいた。「ありがとう~! 俺も明日、仕事頑張るからな~!」。そしてスタンドに一礼した日産の選手にいつまでも送られた拍手も、彼らの存在証明だった。悔しさを知った新生・日産野球部の物語には、まだ先がある。
(THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 / Keita Hatori)
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