なぜ、中村俊輔はFKが上手くなれたのか “今さら聞けない疑問”で明かす天才の極意
幼き俊輔少年が実践した「枠ではなく的」という意識
皆さんは投てき板をご存じだろうか? 壁に何重かの円が描かれているアレである。今の時代、設置されている公園や小学校は珍しく、近年は劣化によって撤去を余儀なくされた例も少なくないだろう。
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中村は雨の日も風の日も、この投てき板に向かってボールを蹴り続けた。
「ゴールという枠の中ではなく、明確な“的”を狙って蹴っていた。インサイドキックに始まり、インフロントキック、アウトサイドキック、それからインステップキック。いろいろな蹴り方と距離でとにかく同じ場所を狙って蹴る。友達とポイント制にして競争するのも楽しい」
目の前にある物はすべてサッカーが上手くなるための道具に変えられる。例えばドリブルであれば地面から半分だけ顔をのぞかせているタイヤを相手選手に見立てて股抜きしていたというのだから、恐れ入る。
さて本題に戻り、2つ目のターニングポイントはプロ入り後の環境にあった。
97年に桐光学園から横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)に加入した中村は、高卒ルーキーながらFKのキッカーに抜てきされる。複数のJクラブから誘いを受ける中でマリノスを選んだ理由のひとつが「左利きの選手がほとんどいなかったから」とはいえ、まさか何の実績もない自分が公式戦でのキッカーに指名されるとは夢にも思わなかった。
「アスカルゴルタ監督に早い時期から責任感とプレッシャーを与えてもらった。キッカーとしての自覚を持ってここまで取り組んでこられたのも監督が機会を与えてくれたから」(前出・著書より)
これをきっかけに、中村はFKにより磨きをかけていく。