「競技を辞める方が怖かった」― 皆川賢太郎が貫いた“ずるい選択”をしない生き方
現役生活で「遊びの時間」を持つのはもったいない
「何屋さんか分からない」という怖さから出発した経営者の道。それは、競技のキャリア形成にも生きた。「大きかったのは、ひと様のお金で辞める理由がなくなったことです。続けるも辞めるも自分自身のお金で決断できました。スポンサーがなくなってキャリアを終えなければいけないという選択が嫌だったので」と回顧する。
異色の道を歩みながら、アスリートの価値と向き合ってきた競技人生。だから、昨今のセカンドキャリア問題についても独特の考えを持っている。自身の体験談を交えながら、熱く思いを明かした。
「正直、セカンドキャリアを現役時代に確度を高めて考えるのは難しい。でも、選手にとって無駄な時間はたくさんある。競技によってはプロになった途端、練習量が極端に減る選手がいます。例えば、練習が終わってパチンコをしたり、飲み回ったりする選手がいる。世界中で全員が24時間、365日という同じバジェットで生きているけど、もともとはプロになりたいと思って、その時間をたくさん使って夜まで練習していたはず。プロになり、短い時間で生産性のある練習をすることによって、残った時間をどう使うのかが大事になります。僕は遊びの時間に使ってしまうのは、もったいないと思う。
リアルキャリアをしていくことは自分にとっては当たり前でした。日本の考えからすると、一つのことをやっている時、別の何かに時間を案分させることは価値観として美徳ではない。ただ、スポーツ選手というのは特殊で、体力的な仕事をしている。24時間は動けない。体を動かせる時間は決まっているので、それ以外の時間の方が長い。そうなると、体は使えなくても頭で考えることはできる。そういう時間配分にしていた。そうやると、必然的にキャリアを終えた後に自分が何をしたいのか、おのずと見えていく。準備期間の助走を持てるのでよっぽどいいと思います」
競技と向き合う以外の時間をどう過ごすか。それによって“その後”の人生も変わる。皆川氏自身、アルペンスキーのトップ選手だから生かせることも実践していた。毎週、世界を転戦するワールドツアー。毎週、オフは最低1日、各地のホテルを自分で取って泊まり、リゾート施設を見て回ったという。狙いは明確だった。
「プレーヤーをやりながらスキーリゾートを生業としているので、現役でいるうちに1000軒以上は行こうと思っていました。引退後に世界で何十軒のスキー場を回ろうなんて不可能だろうと。実際に今、そんな時間は取れません。あの時に見ておかなければ、そういった知識もなかったので、それが今の仕事につながっていますね」
“二足の草鞋”を履いて駆け抜けた異端の競技人生。最大の教訓はどんなものだったのか。
「一番大事にしているのは『ずるい選択をしない』ということ。物事を天秤にかけ、取捨選択をしなければいけない時は必ずある。その時、人生の主人公である当事者がずるい選択、つまり簡単に手に入るようなものを選んだ場合、その効果は一時的な瞬発力はあるけど、永遠に続くものではない。ずるい選択をしない方が考える能力を得られ、蓄えられていくことを学べると思います」
“ずるい選択”を断ち、生き抜いたからこそ、今がある。その言葉には、重い価値がある。
(THE ANSWER編集部)