斎藤佑樹に憧れた早実「背番号1」が米挑戦 ガス営業マン生活で覚醒した“奇跡の物語”
サラリーマン生活で覚醒、現役プロ選手も驚き「NPBの2軍より良い」
多くのプロ野球選手を手掛けている治療院に通い、体全体のバランスを整えた。4月からボールを使った練習を開始。知人を通じて知り合った動作解析の専門家とともにフォームを見直し、日本人投手にありがちな腕に頼ったものではなく、体の全体を使う感覚を叩き込まれた。「自分の考えが180度変わった」という衝撃を受け、手応えを掴んだ。ただ、道のりは平たんではなかった。
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本業は、天然ガスを販売する営業マンだ。平日は週5日、朝から晩までスーツ姿でみっちりと働く。東北地区を担当して、青森、山形などを飛び回って工場に自社の供給を勧めるセールスを行い、多い時は月の半分近くが出張だ。ビジネスに奔走する一方、近くに知り合いのクラブチームがあれば、多忙の合間を縫って練習に参加。少しでも体を動かし、進化を求めることはやめなかった。
東京でも仕事が終われば夜9、10時に自宅近くの競技場に走った。敷地内の空き地を自分の練習場にした。足場はコンクリート。そんな中でも自費で購入した移動式ネットを置き、たった1人で暗闇の中で投げ込んだ。近くで暮らしているホームレスに怒られたこともある。それでも「体を2日続けて動かさなかったことは1度もない」と言う。日々進化する感覚がただ、楽しかったからだ。
「新しい発見があり、新しい自分に気づいていく。いい球を投げることに関して、どんどん良くなっていることが分かったから。今までの環境がどれだけ恵まれていたんだろうと気づくこともできた。でもチームだったら、自分だけに向き合えなかったかもしれない。周りに流されることなく、本当に自分のために自分だけのことを考え、野球に取り組むことができたことが良かった」
こうして過ごすこと1年。変化は投げるボールが雄弁に語っていた。「自分でも分かるくらいに球が速くなった。加えて、昔より『強い』という感じ。150キロくらい出ている感覚はある」。130キロに届かなかった直球が、全盛期を超えるほどの輝きを放った。実際、最近の投球を見たあるプロ野球選手は「大学より良くなった」「NPBの2軍より良い」と言った。驚きの覚醒ぶりだった。
一度は枯れた。しかし、もう一度、膨らみ始めた蕾みを花開かせたい。野球をできる環境を求めた。日本ならドラフトにかかるのは26歳までが多い。それを踏まえ、挑戦期間は2年に設定。その第一歩が、アメリカだった。
「日本のプロ野球に行ければいいけど、どこのチームにも所属していないような選手をドラフトで獲ってくれるかと言ったら現実的じゃない。アメリカは年齢も所属も関係ない。今日契約して、明日クビになるような場所。今まで野球でしか生きてこなかったけど、社会人を1年間経験して異文化を知ることで人間として変わることができた。そういう意味でも、アメリカに魅力を感じた」
「お山の大将だった」という中学時代、シニア日本代表で米国遠征した際、外角を突いた渾身の直球をバックスクリーンに運ばれ、衝撃を受けた。そんな一度は鼻をへし折られた未知の地へ、挑戦できることに胸は高鳴った。