一度はプロを諦めた24歳女子が“あしながおじさん”に救われた話 ゴルフ難関突破の裏に「続けなさい」の言葉
クラブを置いた日々…あしながおじさんにかけられた「絶対に続けなさい」が転機に
クラブを握らない生活になったが「自分はゴルフしかしてこなかった」「次の道に踏み出すにも勇気が必要」と思い、キャディーの仕事は続けていた。23年3月、同コースで会った男性会員に真顔で言われた。
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「続けなきゃダメだ。宮崎にずっといるから力が出せないんだよ。関東に行けば、試合の機会はたくさんある。そのための必要経費は出してあげるから、絶対に続けなさい。レッスンでJLPGA(日本女子プロゴルフ協会)の会員になる道も考えなさい」
男性は東京で会社を経営。志半ばで道を諦めた青木を立ち直らせるべく、善意で支援を提案してくれていた。
「私は『宮崎にずっといるから』という言葉に『ハッ』とさせられました。確かに試合の機会が少ない。そのままテストを受けるから力を出し切れないことにも納得しました」
5度目となった23年プロテストは2次予選不通過だったが、実戦経験が増えたことでの手応えがあり、「もっと試合に出たい。環境を変える必要がある」と決断するに至った。
「昨年2月、東京での生活を始めました。大きな賭けでした」
男性は経費面の援助だけでなく、プロテスト合格を目指す選手たちが集うマイナビネクストヒロインツアーに参戦するきっかけも作ってくれた。青木自身も、23年11月から本格的に始めたインスタグラムでフォロワーを着実に増やした(1月11日時点で5.1万人)。ゴルフ番組のほか、さまざまな試合やプロアマ大会から出場オファーが届くようになり、東京での一人暮らしに十分な賞金を手にした。
宮崎にいる武井龍太コーチからのオンライン指導に加え、パッティングに関しては、自身でコンタクトした橋本真和コーチに師事した。6度目となった昨年のプロテストは1次、2次予選を余裕で通過。10月半ばにはマイナビネクストヒロインツアーで初優勝を果たし、万全の状態で初めて進出した最終プロテストに臨むことになった。
「試合を多くこなしてきたことで、初日から緊張せずにプレーできました。ただ、最終日の16番でボギーを打って4オーバーになった時はショックでした。18番では2メートル、下りスライスのパーパットが残りました。『入れても不合格』という思いだったので、いいストロークができました」
その時点で合格ラインは3オーバー。残り9組がプレーしていたが「落ちた」と思い込んで母親に電話していた。
「『今年もダメだった』と言って、母と一緒に泣きました」
だが、会場の茨城・大洗GCは難コース。特に上がりの17、18番は難しく、スコアを落とす選手が続出した。合格ラインは通算4オーバーに。青木はもう1度母親に電話し、生配信のYouTubeでテスト状況を見続けた。
「残り2組になって合格が確定し、今後はうれし涙が流れました。私を奮い立たせて再び挑戦させてくれた社長にも電話をすると、『本当に良かった』と言って、泣いて喜んでくださいました」