[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

99歳までボクシング界を支えた帝拳・長野ハルさん死去 64歳下の記者にも刺さる厳しさ、愛、畏敬の念

日本ボクシング界の名門・帝拳ジムの長野ハル・マネジャーが1日午後8時40分、老衰のため死去した。5日、本田明彦会長がホームページで発表。99歳だった。1948年に帝拳株式会社に入社し、日本ボクシングコミッション(JBC)が創設された1952年にマネジャーライセンスを取得。多くの世界王者を輩出したジムだけでなく、75年以上にわたって業界を陰で支えてきた。

2017年5月、世界初挑戦で敗れた村田諒太(左)を労う長野ハル・マネージャー【写真:産経新聞社】
2017年5月、世界初挑戦で敗れた村田諒太(左)を労う長野ハル・マネージャー【写真:産経新聞社】

悼む

 日本ボクシング界の名門・帝拳ジムの長野ハル・マネジャーが1日午後8時40分、老衰のため死去した。5日、本田明彦会長がホームページで発表。99歳だった。1948年に帝拳株式会社に入社し、日本ボクシングコミッション(JBC)が創設された1952年にマネジャーライセンスを取得。多くの世界王者を輩出したジムだけでなく、75年以上にわたって業界を陰で支えてきた。

【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら

 昨夏頃に足を骨折するまでは試合や記者会見にも足を運び、マネージャー業に勤しんでいたボクシング界の母親的存在。選手、トレーナーはもちろん、記者にも厳しい姿勢を崩さなかった奥には大きな愛があった。

 ◇ ◇ ◇

 一度見た顔は忘れない。90歳を超えても、それくらいしっかりした方だった。

 記者がボクシング担当になったのは2018年1月。長野さんはすでに92歳だった。最初は挨拶をしても視線すら合わせてもらえず、微動だにしない時も。昭和の空気はゆとり世代の記者には重すぎた。新顔に厳しいのは、選手を守るためだろう。信頼できる人間なのか、常に試されていた。

 他の競技と比べ、選手と記者の距離が近いボクシング。だが、長野さんの許可なしに取材するのはもってのほか。選手のほうから話しかけられても、「練習中の選手に話しかけないでください」とこちらが注意された。

 たとえ取材のための調べものであっても、ジム内で容易にスマホなんていじれない。見られていないと思って開いたつもりが、大鏡越しにじっと視線を向けられていた。全てを見透かされている。心拍数が跳ね上がった。

 毎月、無言で手渡されたのがボクシング専門誌。勉強しなさい、ということだったのだろう。神楽坂のビル5階にあるジムへのエレベーターでは、身なりと呼吸を整えるのが日常。「この記事はどうしてこの書き方を?」。甘さは逐一指摘された。記者が生まれた時はすでに64歳で還暦を超えており、文字通り赤子の手をひねるよう。先輩記者には「長野さんが夢に出てからが一人前」と教えられた。

 数年が経ったある日の挨拶。わずかな会釈が返ってきた。少しだけ認めてもらえた気がした。「あの子はこの間、こんなことがあったのよ」。他社の記者が知らない選手の情報を、その一端だけ教えてくれる。チャンスをもらい、取材して回った。

1 2
W-ANS ACADEMY
ポカリスエット ゼリー|ポカリスエット公式サイト|大塚製薬
DAZN
ABEMA 大相撲
スマートコーチは、専門コーチとネットでつながり、動画の送りあいで上達を目指す新しい形のオンラインレッスンプラットフォーム
THE ANSWER的「国際女性ウィーク」
N-FADP
#青春のアザーカット
One Rugby関連記事へ
THE ANSWER 取材記者・WEBアシスタント募集