「正直、慶應も大学も行きたくなくて」 進学校出身、批判に晒され…W杯経験した今も39歳現役に拘る理由
山田が使っている「グローカル」という考え方とは
「グローカル」はグローバル(世界的な)とローカル(地域的な)を掛け合わせた造語で、世界的な視野に立ってそれぞれの地域性、独自性を考えることを意味する。いまでは世間で飛び交っている言葉だが、山田が初めてグローカルという言葉を知ったのは慶大入学当時だった。大学入試の頃は「グローバル」、つまり海外志向の強い高校生だった山田だが、周囲の友人から聞いたのが「グローカル」だった。そのワードを山田自身が使ったのが日本代表合宿だった。すこし脇道に逸れるが、当時のエピソードが興味深い。
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「2017年の合宿だったかな。チームのワークショップで、ジェイミー(ジョセフ前日本代表ヘッドコーチ=HC)が、どうしたら日本代表が強くなるかというテーマで8組くらいに分かれてのグループディスカッションをさせたんです。そこで僕らのグループは、フィットネスを高めるとかウェートトレーニングでベンチプレスを何kg挙げるとかじゃ古臭いと考えて『グローカルでいこう』という話になった。チーム内にはいろいろな国籍の人がいて、ここが一番のダイバーシティだよねということから、僕らが日本の文化とか、日本しか出来ないプレーとかを大切にすることでファンにメッセージを伝える。そこに力を注げると組織は強くなるという話をプレゼンしたんです」
自信を持って発表したワークショップだったが、ジョセフHCを始めチームの反応はあまり良くはなかったという。だが、次の合宿で配布されたチーム資料には、しっかりと「グローカル」という言葉が記され、その後の取材の中でもジョセフHCを始め様々な選手がこの言葉を口にしていたのは取材する側としても記憶に新しい。
「僕がラグビーを選んだのも、世界で仕事をするためには、自分にはラグビーしかなかったからです。そこでW杯とかを経て、グローカルにこそ面白みがあると考えるようになった。じゃあ山田がグローカリゼイションを体現してみようと。W杯なり海外にいろいろと行かせてもらった中で、最後はやはりお世話になった人の前でやりたいという気持ちもあった。ローカルという部分での九州の良さも見つけて、発信していきたいという思いから九州でプレーすることを決めました」
世界規模で選手が集まるチームを本当の“ワンチーム”に束ねるための軸になるのが、実は国際性ではなく独自性だという考え方は、日本代表というチームには欠かせないコンセプトだったのは、2015年、そして19年のチームの躍進を見てきたファンの多くが感じているだろう。そんなキーワードの源泉は、山田の当時はあまり受けが良くなかったグループディスカッションにあるという。
「やはり日本で生まれ育って、日本の良さって感じるじゃないですか。日本のローカル、もっと言うと(地元の)九州の良さを、18歳で離れてしまってから今まで自分自身でも見つけられなかった。生活をしていなかったから。例えば、どんな美味しい食べ物屋さんがあるかと聞かれてもわからない。ここまで勉強とラグビーくらいしかしてこなかったからです。だから、いろいろ経験させてもらう中で、『戻らないともったいない』という思いになったんです。今帰れば、僕の経験を活かせるし、生かしたいという思いもありましたし、もっと九州の良さにも気づける。そんな思いで戻ったんです」
グローカルという考え方に拘るのは、山田自身がアスリートとして自分が置かれた立ち位置を自分なりに理解した上での結論でもあった。
「僕は、すべてのアスリートの中でトップはイチローさんや大谷翔平選手らだと考えています。この人たちが1割いたとして、残りの9割には、プロ野球の二軍選手もいれば、名前も知らないJリーグ下部の選手もいる。この中に僕もいるんです。僕の場合はマイナー競技のメジャー選手ですかね。大谷のようなメジャー競技のメジャー選手は、グローカルなんてことは考えなくていいんです。でも、“マイナーのメジャー”にはすごく大事だと思うんです。このグループの中にいるグローバルな経験とかをしてきた人は、地元では皆ヒーローなんです。彼らが地元に与えられるインパクトって結構すごいと思うんです」
そんなグローカルな視点を持って、山田は故郷・九州を挑戦の場に選んだ。後編では、所属する九州KVへの思いから、新たなピッチ外の構想、そして長きに渡りトップ選手としてプレーしてきた代表チームと日本ラグビーの「いま」を聞いた。
(後編へ続く)
(吉田 宏 / Hiroshi Yoshida)