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異国でペンキ塗りバイト生活「五郎丸たちは活躍してるのに…」 ラグビー人生のどん底、悲哀…辿り着いた2015年の栄光

38歳までトップレベルで活躍できた理由「ラグビーをしていて、ずっと思っていることが…」

 最終的に三洋電機への“出稼ぎ”が決まったのは、カンタベリー協会の高名なトレーニングコーチだったアシュリー・ジョーンズが三洋に派遣され、仕事をしていたためだった。

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「サニックスのほうが出場する機会は多いかも知れないと聞いていたが、三洋ならアシュリーの下で体が鍛えられるし、カンタベリーでやりたいメニューが出来るという判断でした。リーグ開幕の1、2週間前に合流しましたね。もしアシュリーがサニックスにいたらと思うと、三洋に行けたのが正解だったと思います」

 カンタベリーでは当初の2シーズンという契約を延長することは叶わず、日本でのプレーを決断した堀江だったが、三洋電機入りを決めたのは“出稼ぎ”の縁があったからだった。この偶然が、堀江のラグビー選手としての可能性を大きく広げることになった。留学時代まではNZ代表を目指していたために、日本代表を当時率いていたジョン・カーワンHCからの誘いを断っていたが、帰国1年目の2009年シーズンから目標は桜のジャージーに切り替え、代表デビューも果たした。

 そして、所属チームの理解もあり、三洋電機と契約をしたまま、2012年にNZのオタゴ協会と、翌13年にはオーストラリア・メルボルンが拠点のスーパーラグビーチーム・レベルズと契約。日本初のスーパーラグビー選手として、世界最先端の舞台での道を歩み出した。

 三洋電機入団からプロ選手として15シーズンに渡り活躍を続け、日本代表歴代6位の76キャップ、W杯出場4度という輝かしい足跡を残した堀江だが、この日本を代表する2番にとって、ラグビーはどんなものだったのだろうか。

「う~ん、難しいところですよね、ホンマ。でも、趣味みたいなもんなんですよ。だから、それを長く出来たことが有難いです。趣味でお金もらえて、家庭持ててということを感謝せなあかんなと思いながらプレーしてましたね」

 趣味と言い切るところが大らかな堀江らしいが、38歳までトップレベルの選手として活躍出来たのは、常に「学び」を楽しむという姿勢が根源にある。

「ラグビーをしていて、ずっと思っていることがあるんですよ。赤ちゃんっていつもメッチャ楽しそうじゃないですか。あれって1日1日で出来る事がどんどん増えていくからなんですよね。あの成功事例が楽しいんです。達成感があるから滅茶苦茶楽しい。僕もそれとほとんど一緒なんです。あ、これ出来るようになったとか、試合でこういうタックル出来た、びびらなくなったとかの繰り返しの15年間ですよね」

 輝かしいラグビー選手としてのキャリアの後の選択肢も、堀江らしい我が道を行くものだった。引退を表明した昨年12月の会見のときから語っているのが、トレーナーとラグビーコーチのハイブリッドのような挑戦だ。多くのトップ選手が、引退後はラグビー指導者の道を歩み、リーグワン発足後はチーム運営や広報などに進む人材もいる。選手としての経験と実績をセカンドキャリアでも生かしたいのは、とりわけトップレベルで活躍した選手なら当たり前だ。堀江の選択は、自分の強みであるラグビーの経験からは一見ずれているように見えるが、実は現役時代の経験が色濃く影響している。

「30歳で佐藤さんに出会えたというのが大きいですね。あの頃、従来のトレーニングを続けていて、ちょっと限界を感じ始めていたんです。そこで佐藤さんの助けで、体のシェイプ(形)が変わる、試合でこうやったら自分が思った以上にパワーが出せた、というのを実感できた。その成功体験があったから、ここまで出来たと思います」

 「佐藤さん」とは、アスレチックトレーナーの佐藤義人氏のことだ。第1次エディージャパンでトレーナーを務めていた時に、首の故障に苦しんでいた堀江が治療、施術を受けてから信頼関係を深めてきた。状態が悪い時には、代表合宿を一時離脱して、京都にある佐藤氏の治療院で施術を受け、オフ機関の体のレストア、強化のための“佐藤詣”は当たり前というほどに信頼を寄せる。堀江以外にもSO松田力也(トヨタヴェルブリッツ)ら多くのトップ選手、チームがサポートを受けている。その佐藤氏と連携して、アスリートのリハビリと同時に体力強化などに取り組んでいこうというのが堀江のセカンドキャリアだ。

「これからは、ラグビーに限らずいろいろなスポーツ選手を支えていきたいなという思いがありますね。自分がやって来たことを、まず知ってほしいなという気持ちです」

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吉田 宏

サンケイスポーツ紙で1995年からラグビー担当となり、担当記者1人の時代も含めて20年以上に渡り365日欠かさずラグビー情報を掲載し続けた。1996年アトランタ五輪でのサッカー日本代表のブラジル撃破と2015年ラグビーW杯の南アフリカ戦勝利という、歴史に残る番狂わせ2試合を現場記者として取材。2019年4月から、フリーランスのラグビーライターとして取材を続けている。長い担当記者として培った人脈や情報網を生かし、向井昭吾、ジョン・カーワン、エディー・ジョーンズら歴代の日本代表指導者人事などをスクープ。ラグビーW杯は1999、2003、07、11、15、19、23年と7大会連続で取材。

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