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「体操ニッポンの陽は完全に沈んだ」 屈辱の言葉にカチン…伝説の名実況「栄光への架け橋」知られざる秘話

今も語り継がれる「架け橋」のフレーズは突然、舞い降りた【写真:窪田亮】
今も語り継がれる「架け橋」のフレーズは突然、舞い降りた【写真:窪田亮】

突然、舞い降りた「架け橋」のフレーズ

 実は米田が演技を終えたときに「架け橋」というフレーズが舞い降りたという。冨田洋之の練習を見ていたときに“何だか橋みたいだ”と感じたことが頭をよぎったからだ。もちろん、アーティストのゆずが歌うNHKオリンピック番組の応援ソング「栄光の架け橋」も頭に入っていた。刈屋は歌詞の意味まで理解していた。アトランタの惨敗からのストーリー、そしてこの日の7位から順位を上げていくストーリーが歌詞と重なっていくように感じた。

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「どん底からはい上がってきて、最後はもう思い切って行こうよっていう歌なんです。水鳥(寿思)は2度の大ケガをして、米田は前年のアナハイム(世界体操)で補欠に回って、冨田は世代のトップを走るプレッシャーにさらされていたし、塚原(直也)は体操ニッポンの低迷期に一人で頑張ってきた。選手たちの歩みと、20年間守ってきた王座をモスクワオリンピックのボイコットで明け渡して、そこからはい上がってきた体操ニッポンの歩みが僕のなかで完全にダブったんです」

 栄光への架け橋。そのフレーズがストンと自分の胸に落ちた。

 3人目の冨田が離れ技コールマンを成功させた時点で、いくら最後の降り技が失敗しようとも得点差を考えれば金メダルは確実になった。

「伸身の新月面が抱く放物線は、栄光への架け橋だ!」

 冨田の着地と同時に放たれた魂の言葉。それは観る者の心を心地良く揺さぶった。
 
 そしてずっとずっと言いたかったあの言葉を吐き出した。

「体操ニッポン、陽はまた昇りました!」
 
 20年前の万感は、今も消えることはない。刈屋はこう語る。

「なぜ自分のコメントが伝わったかと言えば、冨田が(着地を)止めたからなんです。もし彼が2、3歩動いていたら、スッと耳に入ってこなかったでしょう。止めてくれたことによって、選手たちの思いも、会場の空気も、観ている人の思いも、その一点に集中できた。だから彼が止めたことがすべてなんですよ。

 私としては目の前にあることを伝えようという思いだけでした。自分が会場にいる当事者になって一緒に感動を共有するのではなく、テレビの前で観ている人たちと共有しなくてはなりませんから」

 名シーンと重なって単にいいフレーズだったがゆえに、誰もが記憶に残るものになったわけではない。状況を見ながら、空気を感じながら、視聴者との共有を意識しながら。常に最適解を追い求めたスポーツアナウンサーの矜持と執念なくして、伝説の名実況は生まれなかった。

(後編へ続く)

(二宮 寿朗 / Toshio Ninomiya)


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二宮 寿朗

1972年生まれ、愛媛県出身。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2006年に退社後、「Number」編集部を経て独立した。サッカーをはじめ格闘技やボクシング、ラグビーなどを追い、インタビューでは取材対象者と信頼関係を築きながら内面に鋭く迫る。著書に『松田直樹を忘れない』(三栄書房)、『中村俊輔 サッカー覚書』(文藝春秋、共著)、『鉄人の思考法~1980年生まれ戦い続けるアスリート』(集英社)、『ベイスターズ再建録』(双葉社)などがある。

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