「マラソンは人生には例えられない、なぜなら…」 嫌なら走るのを止めればいいスポーツで人が育つこと――マラソン・谷口浩美
スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、4年に一度のスポーツの祭典だから五輪を観る人も、もっと楽しみ、もっと学べる“新たな見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値の理解が世の中に広がり、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。
「シン・オリンピックのミカタ」#88 連載「私のスポーツは人をどう育てるのか」第11回
スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、4年に一度のスポーツの祭典だから五輪を観る人も、もっと楽しみ、もっと学べる“新たな見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値の理解が世の中に広がり、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。
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今回は連載「私のスポーツは人をどう育てるのか」。現役アスリートやOB・OG、指導者、学者などが登場し、少子化が進む中で求められるスポーツ普及を考え、それぞれ打ち込んできた競技が教育や人格形成にもたらすものを語る。第11回は1992年バルセロナ五輪男子マラソンに出場した谷口浩美氏。レース中の転倒によりシューズが脱げ「コケちゃいました」の名言を残して国民に爽やかな感動を与えたトップランナーが最終的にたどり着いた境地にスポットを当てた。(取材・文=THE ANSWER編集部・瀬谷 宏)
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五輪前年の東京で行われた世界陸上での優勝で、バルセロナ五輪の金メダル有力候補となった谷口氏。だが大会直前に疲労骨折で入院し、何とか間に合った本番でも20キロ過ぎの給水地点で他の選手と接触して転倒というアクシデントに見舞われた。執念の追い上げで8位入賞し、レース後に残した「コケちゃいました」の名言は国民の感動を呼んだ。
谷口氏としてはバルセロナ五輪は「メダルが獲れなかったレース」という認識。だが、レース後の爽やかな振る舞いが、銀メダルを獲得した森下広一や4位の中山竹通以上にクローズアップされ、世間の注目を浴びた。街行く人に「コケちゃいました、の人ですよね」と声を掛けられ「なかなか生活しにくかった」という日々。それでも一方で「やはりどこか“天狗”になっていた行動をしていた気もします」と振り返る。
「SNSが流行っている今だったら、私は潰されています。今の時代じゃなくてよかったですよ。メディアで紹介されて注目を浴びるのはいいことですが、競技者としてよりもその後の人生の方が長い。私は今年で64歳になりましたが、若気の至りだった当時を見直すことができます。だから、当時の私の年齢くらいの人には『一過性で騒いでもらうのもいいけど、こういうところを注意しておかないと、すぐ揚げ足を取られるよ』と言いたいですし、そんなアドバイスを自分の経験を通してできるようになったのは面白いところですね」
宮崎県の陸上の名門・小林高で全国高校駅伝に3年連続出場し、2、3年次に連覇を達成。日体大進学後は箱根駅伝も走った。卒業後は旭化成に入社。1985年別府大分毎日マラソンで初マラソン、初優勝の快挙を成し遂げた。華々しいキャリアのスタートとなったが、そもそも谷口氏はなぜマラソンを走るようになったのか。この問いには意外な答えが返ってきた。
「マラソンってきついじゃないですか。周りのみんなが途中で『や~めた』ってなるくらい。だからマラソンを始めたんです。みんなが『や~めた』ってなってくれれば、自分が最後までやめなければ生き残る。私は何をやるにも時間がかかるタイプなんですよ。高校時代にやろうと思って始めたんですけど、日本一になるのは50歳のときでいいやと。50歳だったらみんなやめてるだろうなと。そこで自分が走っていたら、自分が日本一だって思っていましたから」