創部124年の北大野球部から初のプロ…西武・宮澤太成が夢を叶えた進化論「人間は適応していく」
西武の宮澤太成投手は、昨秋のドラフトで5位指名を受けプロ野球の世界に飛び込んだ。出身は北海道大学。1901年に創部され、124年の歴史を誇る野球部が輩出した初のプロ選手だ。4年生の時に最速151キロまで球速を伸ばしプロ入りの夢を抱いたものの“一浪一留”という経歴に阻まれた。そこで選んだのが独立リーグ。ただそこでも挫折を味わい、シーズン終盤の2カ月で大変身。夢を叶えたのだという。(取材・文=THE ANSWER編集部 羽鳥慶太)
北大から独立リーグへ…結果を残せず研究した球界の“トレンド”
西武の宮澤太成投手は、昨秋のドラフトで5位指名を受けプロ野球の世界に飛び込んだ。出身は北海道大学。1901年に創部され、124年の歴史を誇る野球部が輩出した初のプロ選手だ。4年生の時に最速151キロまで球速を伸ばしプロ入りの夢を抱いたものの“一浪一留”という経歴に阻まれた。そこで選んだのが独立リーグ。ただそこでも挫折を味わい、シーズン終盤の2カ月で大変身。夢を叶えたのだという。(取材・文=THE ANSWER編集部 羽鳥慶太)
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「人間は適応していく生き物だと思います。環境が大事でした」
宮澤にプロ入りまでの歩みを振り返ってもらうと、こんな言葉が口をつく。北大3年の冬に、札幌から東京のトレーニング施設に通うという自己投資で大変身。最速151キロを叩き出すまでに成長した。ただ一浪一留という経歴が災いしてプロ志望届を出すことは叶わず、最短でのプロ入りを目指して独立の四国アイランドリーグ・徳島の門を叩いた。NPBへの選手輩出で見れば、実績は随一。2013年からドラフト指名選手を生み続けている。
ただ新天地で初めて登板した4月1日の香川戦、1回を4安打2四球、3失点と大炎上。上には上がいると思い知らされた。「最初はとにかく球速を上げて、一つだけでも武器があればプロの目につくのかなと思っていました」という考えは、登板のたびに打ち砕かれていった。周りには、150キロを投げる投手もゴロゴロいる。登板機会は減り、夏まで何の実績も残せなかった。
プロへの行き方をもっと突き詰めなければと思ったのはこの頃だ。球界の「トレンド」に乗ろうと思ったのだ。
「150キロ中盤を投げる中継ぎとして見てもらおう、というところまで具体的にイメージしました。プロで活躍している中継ぎに近いものを見せられたら、取りたがってくれるかなと。春にはWBCもあったので、いろんな投手を見ました。ストレートとフォークで目立っている投手が多くて……。それに近いタイプになればいいんだと思ったんです」。頭にあったのは、オリックスの宇田川優希、ソフトバンクの藤井皓哉といった投手の姿。「この2、3年で来ている投手ですよね。その人たちのようになればいいんだと」