一浪一留だから見つかった最短ルート 北大から初のプロ…西武・宮澤太成を変えた20万円の自己投資
人生を変えた個人レッスンと、出せなかったプロ志望届
冬になると、球速向上を目指して東京のトレーニング施設に通った。交通費は、どんなに安い航空券を探しても片道1万円を下らない。レッスン料を含めれば1度にかかるお金は5万円近くなる。学生にとっては大金だった。
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大学生活を通じて、アルバイトには勤しんだ。居酒屋や宅配便の倉庫、コールセンターの職にもついた。この冬はそこで稼いだお金を、ひたすら自己改造に注ぎ込んだ。「日帰りが多かったですけど4、5回は行きましたね」。結果ははっきりと出た。春を迎えると、自己最速の151キロを計測。都市対抗にも出場した社会人チームとの練習試合に先発し、8回1失点と圧倒した。
プロ野球のスカウトの視線も集めるようになった。この先も野球を続けたいという思いが強くなったところで、制度に先を阻まれる。宮澤は2年から3年へ進級する時に留年しており、卒業するためには5年目も大学に籍を置かねばならなかった。
「プロ志望届って、卒業見込みじゃないと出せないんです。『留年してるなら来年だね』と言われて、初めて知りました」。そして、大学野球の選手として公式戦に出場できるのは4年間だけ。プレーの場がなくなると知っても、一度燃え上がった心の炎は簡単に消せない。プロ野球選手になるにはどうすればいいのか。法学部の学生らしく、理詰めで考えた。
「社会人野球も頭にあったんですけど、ここでも制度上2年間はプロの指名を受けられません。そうすると僕は、どんなに早くても26歳になる年でプロに行くことになる。これは結構厳しいのかなと思いました。だったら独立はどうだろうと。1年間でプロに行くと決めて来ている選手も多い。僕のニーズにマッチしているのかなと」
進んだのは、2013年から11年連続でNPBのドラフト指名選手を生んでいる、四国アイランドリーグの徳島。宮澤はここで最速155キロまで球速を伸ばす。新たにフォークを武器にし、プロのスカウトの目に止まった。ソフトバンク3軍との試合を、きっちり抑えたのも大きなアピールになった。
プロへの大きなきっかけとなった20万円を、宮澤はこう表現する。「身銭を切って行くことが大事だったのかなと思います。自己投資というか……。お金や時間、いろんなものを使うたびに少しずつうまくなった」。自由な野球部で、あえて野球を突き詰めようとしたことが咲かせた大きな花だった。
(THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 / Keita Hatori)