「こんなに苦しいとは」 部員200人の大学野球部で消えかけた左腕、2軍新球団で追うNPBの夢「最後のチャンス」
マンモス野球部の中で居場所を作る難しさ「1回落ちると…」
2年生の時、肘と肩を続けて痛め、満足な投球ができなかった。オープン戦で好投し、注目されたこともある。ただ富士大の野球部には200人近い部員がおり「1回落ちると、はい上がるのが大変で……。なんとか気持ちを上げていくのに苦労しました」。大学後半の2年間は、新型コロナウイルスの感染が広がった期間でもあった。練習が制限される時期もあり、そのまま卒業の時期を迎えてしまった。
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「迷いましたよ。でも野球をやめたときのことを想像したら。なんかモヤッとする。ただコロナもあって、社会人のチームは採用枠が減っていました。リーグ戦で1回も投げていない投手を、取ってくれたとしても試合で投げられない」。選択肢は独立リーグしかなかった。つてをたどり、信濃への入団にこぎつけた。
白樺学園高3年の夏、北北海道大会では甲子園出場の大本命だった。ただ腰を痛め、満足のいくパフォーマンスを見せられなかった。牧野に注目していたプロ野球のスカウトも、投げられないのでは判断のしようがなかった。もし高校最後の夏を順調に送っていたら、全く違った人生が待っていたのかもしれない。
牧野も「こんな苦しいとは思ってなかったです」と大学入学からの6年間を振り返る。「もっとスムーズにいくのかな、いや、行きたいなと思っていました。でもあそこで甲子園に行っていたら、今頃野球をやめていたかもしれないとも思うんです。今も野球を続けているのは、自分の中で終わりにできていない、納得がいっていないからと思うので」。
独立リーグ時代は、ストライクゾーンの中で勝負できるボールの強さを求めて、成績を残してきた。オイシックスでレベルの上がる相手を抑えるためには、球速が必要になると考えている。「現在の最速は146キロですが、平均球速を求めていきたい。143~4くらい出れば」と課題を口にする。
昨季までは対戦相手として見ていた橋上秀樹監督は「いい左腕ですよ。ただ昨年は後半尻すぼみだった。後半上がったほうがスカウトには評価される」とプロへの“行き方”を指南。イースタン・リーグで通用する投球を最後まで続けられれば、念願のドラフト指名が待っているはずだ。
(THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 / Keita Hatori)