「野球でクルマが何台売れるかといえば…」 復活する日産自動車野球部、新監督が語る休部のリアル

15年前、食堂で告げられた活動停止「発信するためだったんじゃないかと…」
トヨタ自動車と激しい販売競争を続け、「技術の」という冠付きで呼ばれた日産自動車は1990年代後半から経営不振にあえいだ。フランス大手ルノーの出資を受け入れ、最高経営責任者(CEO)に就任したカルロス・ゴーン氏のもとで厳しいコストカットに挑み、再建を果たした。ただゴーン氏は2018年に金融商品取引法違反などの疑いで起訴され、その後は国外逃亡事件を起こし世間の話題となった。その中で会社が野球部復活を望んだ理由を、伊藤さんはこう受け取っている。
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「この会社は今、変わろうとしているんです。内部に様々な問題を抱えていたことが、ブランドイメージにとってマイナスに働いている。社内から会社を変えていこうというシンボルになるという判断だったのかなと思います」
今回、野球部に求められるのは前向きな姿、チャレンジする姿勢を伝えていくことだ。日産野球部には神宮や甲子園の大スターはいなかった。愚直なまでに守備や走塁を磨き上げてしつこく粘り強く戦う、社会人野球らしいチームだった。ただ、野球部の存廃が会社のイメージ戦略に左右されるのには、違和感もある。
「休部する時も、そんな感じでしたから。経営が悪くなってというところもありましたけど、こんなに状況が厳しいんだと発信するためだったんじゃないかと、今でも思う部分はあります」
2009年2月9日。いつもの1日を送るはずが、どん底につき落とされた。横浜市にあったグラウンドに出て練習の準備をしていると、全選手とスタッフが食堂に呼び出され「活動は今年限りになる」と伝えられた。一度は危機を乗り越えたあとの、不意の一撃だった。
1998年、日産野球部は都市対抗野球で2度目の優勝を果たした。この年は横浜高が春夏の甲子園を連覇し、プロ野球でもベイスターズが優勝。野球王国・神奈川が注目された直後が、最初の危機だった。1999年、会社再建のためルノーから送り込まれたゴーン氏は、コストカッターと呼ばれ注目されていた。
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