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とび職の仕事中に切断した左足 スポーツと無縁の人生は40歳で激変、不惑を過ぎて挑んだ“世界”

バレーボールの2021年東京パラリンピック日本代表・飯倉喜博が「THE ANSWER」のインタビューに応じた。25歳で左足を切断する事故に遭いながら、40歳になってスポーツを始め、パラリンピックの舞台に立った。これまでの人生を振り返り、「やらないという選択肢を省いて、いいと思ったら何でもやってみる」と自身の流儀を明かした。(取材・文=二宮 寿朗)

自身の流儀を明かしたパラ・バレーボール日本代表・飯倉喜博【写真:荒川祐史】
自身の流儀を明かしたパラ・バレーボール日本代表・飯倉喜博【写真:荒川祐史】

“遅咲きのパラリンピアン”パラ・バレーボール日本代表・飯倉喜博の流儀

 バレーボールの2021年東京パラリンピック日本代表・飯倉喜博が「THE ANSWER」のインタビューに応じた。25歳で左足を切断する事故に遭いながら、40歳になってスポーツを始め、パラリンピックの舞台に立った。これまでの人生を振り返り、「やらないという選択肢を省いて、いいと思ったら何でもやってみる」と自身の流儀を明かした。(取材・文=二宮 寿朗)

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【前編】40歳で知ったスポーツの楽しさ 実現させたパラリンピック出場の夢 / バレーボール(座位) 飯倉喜博選手インタビュー(GROWINGへ)

【後編】46歳で立ったパラリンピックの舞台 アラフィフでも挑戦し続ける理由 / バレーボール(座位) 飯倉喜博選手インタビュー(GROWINGへ)

 スポーツを始めるのに、年齢は関係ない。

 パラスポーツのバレーボール(座位)で活躍する飯倉喜博は46歳で2021年の東京パラリンピックに出場した“遅咲きのパラリンピアン”として知られている。

 飯倉は25歳のとき、とび職の仕事中に事故に遭い、左足を切断しなければならなくなった。懸命なリハビリによって仕事に早期復帰してからもスポーツとは無縁の人生を送ってきたものの、40歳になって人生が激変する。出会ったアンプティサッカーにのめり込むと、今度は体験会への参加をきっかけにバレーボール(座位)にチャレンジ。不惑を過ぎてからパラリンピックを目指すことにまったく躊躇はなかったという。

「ワンチャン行ける可能性があるんやったら、チャレンジせえへん選択肢ってないよな。そう思いました。たとえあかんかったとしても目指して頑張ったなら達成感はあるやろうし、もし行けたら行けたで凄いことになる。サッカーは在籍したままで、大阪アタッカーズに入って本格的にバレーをやることになりました。

 チームでの練習は楽しかったし、今度は代表に行くといろんな人がいろんなところから(選手が)集まってくる。負けたくない気持ちもあるし、やっぱり切磋琢磨していくから強くもなっていく。段々と上達していくからまた楽しくなっていくんですよね。気持ちは20歳くらいになりましたね」

 うまくなりたい、吸収したいという気持ち。彼は若々しい、張りのある声で言った。

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二宮 寿朗

1972年生まれ、愛媛県出身。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2006年に退社後、「Number」編集部を経て独立した。サッカーをはじめ格闘技やボクシング、ラグビーなどを追い、インタビューでは取材対象者と信頼関係を築きながら内面に鋭く迫る。著書に『松田直樹を忘れない』(三栄書房)、『中村俊輔 サッカー覚書』(文藝春秋、共著)、『鉄人の思考法~1980年生まれ戦い続けるアスリート』(集英社)、『ベイスターズ再建録』(双葉社)などがある。

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