「毎日こんな楽しそうに頑張るのか」 アマボクシング聖地で感銘、五輪代表・原田周大が見た光景
ウズベキスタンで練習以外でも感銘を受けたこと「ちびっ子から…」
リング上で足を使い続ける体力と、当たり負けしない体づくりに着手。カザフスタンとウズベキスタンでそれぞれ約2週間、その後はイタリアでも合宿した。
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周囲から「大きくなった」と言われるなど成果が表れた。「前とは全然違うくらい筋肉量は増えた。食べ物もめちゃくちゃ気を使う」。栄養についてネットで調べたり、トレーナーに聞いたりして勉強。寮の食事、自炊でも脂質カットや最低限の炭水化物摂取を心がけた。今では大会前の減量期間でも十分に動けるようになった。
ウズベキスタンで感銘を受けたのは練習内容だけではない。街の電光掲示板にはアマボクサーの巨大広告。まるで渋谷のスクランブル交差点のよう。少年たちからは写真撮影を求められた。
「やっぱり今、日本のボクシングはプロが人気じゃないですか。ウズベキスタンでは、ちびっ子からも『日本代表の選手!?』と聞かれます。(世界王者の)岡澤先輩は名前も呼ばれて、これくらい地位が高いスポーツになると、ボクシングをしていない一般市民の方にも知ってもらえている。日本のアマチュアボクシングもこうなってほしいなという想いは強くなりました」
より競技環境を良くするには、アマボクシングの地位向上が必要。そのためには勝ち続けることが第一だ。「練習して結果を出さないと始まらない」。10月のアジア大会。決勝進出でパリ五輪出場権を奪い取った。だが、直後の決勝で世界王者からボコボコに。相手はウズベキスタンのスター選手。左眼窩底骨折の大怪我を負い、五輪への大きな壁にぶつかった。
(21日の第6回「『アマボクサーは知名度が全然ない。歯がゆい』 2024年パリ五輪で原田周大が狙う競技の地位向上」に続く)
■原田周大/Shudai Harada
2001年10月2日、福岡・北九州市生まれ。22歳。中学1年でボクシングを始め、福岡・豊国学園高で国体準優勝。21年にバンタム級で全日本選手権初優勝。21年U-22アジア選手権は準優勝。22年はフェザー級で出場した全日本選手権で2大会連続優勝。23年5月の世界選手権は1回戦負けしたが、10月のアジア大会準優勝でパリ五輪代表に内定。
〇…全日本選手権が21日から6日間、東京・墨田区総合体育館で行われる。24年パリ五輪の世界予選トーナメント日本代表最終選考会を兼ねた大会。原田は出場しないが、すでに同代表に内定した男子ライトミドル級・岡澤セオンとともに中継のゲスト解説を務める。
(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)