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元中日大物助っ人だった豪州監督に直撃「覚えているのは巨人の左」 胸に懐かしき2000年の記憶

アジアプロ野球チャンピオンシップが16日に東京ドームで開幕した。3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に引き続き、オーストラリアを率いるのはデービッド・ニルソン監督。2000年には中日で「ディンゴ」の登録名でプレーしている。16日の試合前に「THE ANSWER」の取材に応じ、NPBの思い出とともに「日本は訪問する国としてダントツでお気に入りの国だ」と日本への想いを語った。(取材=THE ANSWER編集部・鉾久真大)

オーストラリア代表のデービッド・ニルソン監督【写真:荒川祐史】
オーストラリア代表のデービッド・ニルソン監督【写真:荒川祐史】

カーネクスト アジアプロ野球チャンピオンシップ 2023

 アジアプロ野球チャンピオンシップが16日に東京ドームで開幕した。3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に引き続き、オーストラリアを率いるのはデービッド・ニルソン監督。2000年には中日で「ディンゴ」の登録名でプレーしている。16日の試合前に「THE ANSWER」の取材に応じ、NPBの思い出とともに「日本は訪問する国としてダントツでお気に入りの国だ」と日本への想いを語った。(取材=THE ANSWER編集部・鉾久真大)

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「日本は訪問する国としてダントツでお気に入りの国だ。ここの人たちはファンタスティック。日本で過ごした日々を大事に心に抱いているよ。ここの全てが好きだ」

 韓国戦を控えた練習前、東京ドームのベンチでこう語ってくれたニルソン監督。1992年にブルワーズでメジャーデビューし、94年からMLBで6年連続2ケタ本塁打。96年には打率.331、17本塁打、84打点と活躍し、99年にはキャリアハイの21本塁打を放ってオールスターにも選ばれた。

 2000年には中日でプレー。メジャー通算105本塁打の大物助っ人として注目され、登録名は「ディンゴ」だった。当時について「名鑑を見たらたくさん思い出すんだけど……当時はインターネットがそれほど発達してなかったから、事前にはあまり情報を得らえなかった」と考えながらも振り返ってくれた。

「覚えているのはジャイアンツの左投手、ジャイアンツとソフトバンクにもいたかな? コンドウ? クドウ? あとはマツイ。エキシビションで対戦したね。イチローもそうだ。別のリーグだったけどね。素晴らしい選手がたくさんいた」

 中日の同僚については「若い遊撃手がいた。コウスケ! コウスケ・フクドメだ。面白いことにあとで外野手に転向したけど、あの時はまだ若造だったね。たくさんいい選手がいたよ。あとタツナミね! 今は監督やってるってね。タツは本当に素晴らしく、私にも本当によくしてくれた」と懐かしそうな表情で教えてくれた。

 連絡は取りあっていないというが「いつかまた連絡を取り合えたら嬉しいね。いつかは必ず」と笑顔。「いつかまたナゴヤに戻ってファンと交流できたらいいね」と古巣への思いを語った。

(THE ANSWER編集部・鉾久 真大 / Masahiro Muku)

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