「英語力」はバスケ選手の財産 海外経験ゼロのBリーガー飯田遼、語学習得につながったプロの日常
大学での文武両道とプロになってから磨かれた英語力
同学部では必要単位の取得に加え、TOEICで基準点以上のスコアを取ることが進級条件。体育会の学部生は海外にルーツを持つ者がほとんどだったと飯田は言う。
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「面接の時には試験官の方から『体育会とこの学部を両立させるのは無理だよ』と言われた記憶があります」
しかし、飯田は「無理」と言われた両立をしっかりと果たした。1年時から英語に関する授業をみっちりと受け、4年時のゼミでは第二言語習得に関する研究論文を全文英語で書き上げた。部では当初なかなか活躍の機会を得られなかったが、BチームからAチームへ、控えから主力へと少しずつチーム内での序列を上げ、4年時にはキャプテンとしてチームをインカレ3位に導いた。
「英米文学を学んだり、ビジネス英語を学んだり、ネイティブの先生の授業を受けたり、本当に毎日英語漬けでしたね。入学して1年経ったくらいで『英語が聞き取れるようになってきたな』って実感し始めて、そのうちなんとなく話せるようになっていって。文法的に正しくなくても、単語をつなげれば相手もある程度言いたいことを理解してくれるんだなって分かってきました」
飯田は学生時代に得た学びについて、このように話した。
大学入学時には教員を志望していた飯田は、4年間の努力の末にプロバスケットボール選手としてのキャリアを手に入れた。真の意味での「英語力」を磨いたのは、プロバスケットボール選手になってからだという。
拓殖大4年時の冬、特別指定選手として地元・長野の信州ブレイブウォリアーズに加入した飯田は、チームメートの外国籍選手に積極的に英語で話しかけた。チームには当然通訳がおり、練習も試合もつきっきりで業務にあたっていたが、飯田はできる限り通訳を介さずに会話することを試みた。
「大事なこと……例えば『チームは今こういう状況なんだ』とか『今は我慢が必要だ』みたいなことを話す時、別の人が入ったらニュアンスが変わったり熱量が落ちちゃうかもしれない。直接話したほうがお互いの思いが伝わると思うし、何より、飲みに行く時に通訳はいないじゃないですか(笑)」