女子12人の年350日サバイバル共同生活 元フェアリーJが語る、新体操代表の舞台ウラ
1日8~9時間練習の12人サバイバル生活、北京五輪に残ったのは3人だけ
結果は見事合格。通信制高校に転校して親元を離れ、千葉に移り、高2の4月から難関を突破した12人との共同生活が始まった。
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「とにかく大変でした。みんな同じマンションに住んで、3LDKの部屋に3人1組。朝7時に起きて、みんなでママチャリを漕いで体育館に向かう。朝9時から4時間練習して、昼休みを挟んで午後3時から7、8時まで1日8~9時間は練習。練習が終わってくたくたの状態で家に帰っても、自炊して、お風呂に入る順番を決めて、コーチに提出する反省ノートを書く。なんとか12時までに寝る。休みは週に1日。実家に帰れるのは年3、4回くらい。メンバーとは年350日くらいは一緒にいたんじゃないかと思います(笑)」
ただ、生活をするだけでも過酷な環境。初対面のメンバーとの共同生活に気苦労も多かったが、それ以上に練習は厳しいものだった。団体を未経験だったのは、自身だけ。残りの11人は経験者だった。
「『イチ』と掛け声で言われても、『イ』で出すのか『チ』で出すのかだけでも狂ってくる。頭がそこまで回らない。『今までの(手具の)投げ方は忘れなさい。統一したやり方でやるから』と言われ、それではコントロールすることが難しい。投げるだけの練習を何時間も何千回と永遠続くこともありました。全員が10回合うまで終わらないとか。本当に辛い時期でした。コーチは誰か一人でもずれていれば、選手同士で互いに指摘しなさいと言うのですが、自分がそうなるかもしれないと思うと、みんな我慢をして言えない状態でした」
何より過酷だったのは、五輪まで続けられるか分からないサバイバルという点だった。12人で始まったメンバーも19歳で迎える08年北京五輪まで残ったのは3人だけ。絶えず、入れ替えが繰り返されていった。
「仲間同士を競わせる目的もありますし、いい選手がいたら推薦でコーチが入れるんです。『あなたたちより良い子が入ってくるから』とプレッシャーをかけ、新しい選手が随時入ってくる。そんな中で体重管理はすべて任され、『食べたいなら食べていい。その分、動きなさい』というスタンスだったのですが、自己管理ができなかったり、練習がきついという理由でやめていってしまう選手もいました」
普通の高校生らしい生活もできない。「『バイトしてみたいよね』とか、『今の体でビキニを着たら(筋肉で)仮面ライダーみたいだよね』とか、そんなことをよく言っていました(笑)。アイスを食べたりとか、自炊で腕が上がって休みにお菓子作ったりとか、そんなことが楽しみでした」と振り返る。ホームシックになり、毎日のように母に電話をかけた時期もあったという。
そんな汗と涙で濡れた2年以上の日々を乗り越え、最高の瞬間が待っていた。大目標だった北京五輪の代表メンバー6人選出だ。