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1本のジュースから始まったフェンシング人生 19歳飯村一輝、五輪メダリスト育てた父との二人三脚

年上の選手と切磋琢磨できた練習環境

 剣のグリップの部分の形状には種類があり、棒状のものが「フレンチ」で「ベルギアン」はピストルのように指をかける部分がはっきりしている。

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「フレンチを持っていた期間は人より異常に長くて、小学4年生の春頃まで持っていたくらい、基礎を徹底的に教え込まれました。それで他の小学生より手首が安定して、狙ったところをつける、行こうと思ったらそこに行ける、ポイント精度が小学生にしてはあったのかなと思います」

 土台を培った要素はこれらにとどまらない。

「小学5、6年生の時には中高生、つまり先輩方と練習させてもらう環境もありました。先輩にかかっていくチャレンジャー精神というのが自分の中で楽しさに変換されていて、そういう状況を楽しんでいました。中学、高校生となっていく中で、上のレベルで戦っていくという時にいい影響を与えたのかなと思います。剣を構えて向かい合った時には、もちろん今もそうですけど、年齢に関係なくアスリートとアスリートの対決として接するようにできる環境があったのかなと思います」

 フェンシングに触れやすい家庭に生まれ、飯村にとって適切な指導を受けられたこと、そして年長者たちと切磋琢磨する、いわば「背伸び」できたこと、さまざまな点で環境は大きかっただろう。

 でもそれを生かしたのは、飯村本人にほかならない。

 飯村は、自身の特性を見つめつつ、いかに戦うかを追求してきた。その取り組みがあったからこそ、今日がある。(文中敬称略)

■飯村 一輝(いいむら・かずき)

 2003年12月27日生まれ。京都府生まれ。五輪銀メダリストの太田雄貴を指導した父・栄彦氏の影響を受け、小学校からフェンシングを始める。15歳で男子フルーレの日本代表に初選出されるなど頭角を現すと、22年4月の世界ジュニア選手権で金メダルを獲得。今年7月にミラノで行われた世界選手権では男子フルーレ団体の一員として史上初の金メダル獲得に貢献した。慶應義塾大学総合政策学部2年。妹の彩乃も女子フルーレの日本代表選手。

(松原 孝臣 / Takaomi Matsubara)

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松原 孝臣

1967年生まれ。早稲田大学を卒業後、出版社勤務を経てフリーライターに。その後スポーツ総合誌「Number」の編集に10年携わり、再びフリーとなってノンフィクションなど幅広い分野で執筆している。スポーツでは主に五輪競技を中心に追い、夏季は2004年アテネ大会以降、冬季は2002年ソルトレークシティ大会から現地で取材。著書に『高齢者は社会資源だ』(ハリウコミュニケーションズ)、『フライングガールズ―高梨沙羅と女子ジャンプの挑戦―』(文藝春秋)、『メダリストに学ぶ前人未到の結果を出す力』(クロスメディア・パブリッシング)などがある。

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