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「お前はジダンのつもりか!?」 月給9万の高卒1年目、水野晃樹が名将オシムに出会えた幸運

オシム監督の練習は「必ず試合につながっていた」

 水野はとにかく素直だった。言われたら、やり続けられる意欲もあった。何より、オシムという偉大な指導者に出会う幸運を持っていた。

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 とは言え、プロ1年目は苦労した。練習には自転車で通った。何しろ月給9万円で、寮費が2万円、親が将来を案じて5万円を定期預金にしたことで、残り2万円が生活費だった。一度、2000円のタンクトップを買おうか、30分以上悩んでいたら、「長いよ」と付き合ってくれた先輩に叱られた。

「自分の場合、そうやって這い上がるほうが力を出せるのかもしれません」

 水野は言う。1年目は7試合出場1得点で、A契約(年俸460万円以上)を勝ち取った。

「オシムさんは、トップとサブの練習が分かれると、むしろサブのほうを気にするんですよ。どんなモチベーションでプレーしているか、練習試合でどうか。そこで良かったら、トップの選手と入れ替えるんです。選手は常にチャンスをもらえる状況だから、モチベーションが落ちない。サブでも結果を出したら、トップに入れてくれるから。トップの選手も気が抜けない。試合メンバーもギリギリまで伝えず、選手も移動のバス内で携帯を見て、今日入っているんだって知るみたいな(笑)。いつも緊張感がありました」

 2003年からオシム監督が率いたジェフは、「考えて走るサッカー」で旋風を巻き起こした。常に優勝争いに食い込み、無敗記録を立てると、2005年にはナビスコカップ(現・ルヴァンカップ)で優勝を飾っている。2006年7月に退任し、日本代表監督に就任するまで栄光の時を過ごした。

「オシムさんは、次の試合に向けての練習でも、『相手はこのシステムでくるから、この練習をする』とか言わないんです。なんのため、って言わない。でもいざ試合になると、必ず練習していた場面が出てくるんです。それが選手にとってはすごく面白くて、練習を信じられるんですよ。今やっていることは、必ず試合につながるって」

 だからこそ、選手はオシムの下でプレーすることで、才能を伸ばせたのかもしれない。

「オシムさんは、練習も本人のフィーリングというか。練習場に立って、選手の顔色や雰囲気を見ながら、やるべきことを決める感じなので。ミーティングもなく、現場のコーチも内容を聞かされていない(笑)。オシムさんの意を汲んだコーチたちが必死に準備するんだけど、どうしてももたつくから、『なんで分からない!? お前ら走ってこい』って(笑)。通訳もできていないから、走ってこいって、もちろん選手も(笑)」

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水野 晃樹

サッカー元日本代表 
1985年9月6日生まれ。静岡県清水市(現・静岡市)出身。清水商業高(現・清水桜が丘高)を卒業後、2004年にジェフユナイテッド市原(現・千葉)に加入。イビチャ・オシム監督の指導の下、2年目の05年に出場機会を増やすと、U-20日本代表にも選出されオランダでのワールドユース(現・U-20W杯)に出場した。07年にはJ1リーグで29試合9得点の活躍を見せ、日本代表にもデビュー。08年1月、セルティックへ初の海外移籍を果たすが怪我もあり不本意な結果に。10年6月に柏レイソルへ移籍して国内復帰を果たすと、8クラブを渡り歩き、今季からJ3のいわてグルージャ盛岡に所属している。

小宮 良之

1972年生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。トリノ五輪、ドイツW杯を現地取材後、2006年から日本に拠点を移す。アスリートと心を通わすインタビューに定評があり、『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など多くの著書がある。2018年に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家としてもデビュー。少年少女の熱い生き方を描き、重松清氏の賞賛を受けた。2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を上梓。

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