「どうして日本なの?」と言われて初来日 ドイツ人の元J監督、32年後のW杯で母国撃破に感慨
サッカー・Jリーグで横浜フリューゲルスや浦和レッズなど、4クラブの監督を務めたゲルト・エンゲルス氏は、1993年のプロ化以降、日本サッカーの急速な発展を当事者として見続けてきたドイツ人指導者だ。しかも初来日した当初は滝川第二高校サッカー部のコーチを務め、近年は女子サッカーの強豪INAC神戸レオネッサを率いるなど、Jリーグ以外の日本サッカーの姿も熟知している。
ゲルト・エンゲルス「日本サッカー育成論」第1回、1990年に初来日して見た現実
サッカー・Jリーグで横浜フリューゲルスや浦和レッズなど、4クラブの監督を務めたゲルト・エンゲルス氏は、1993年のプロ化以降、日本サッカーの急速な発展を当事者として見続けてきたドイツ人指導者だ。しかも初来日した当初は滝川第二高校サッカー部のコーチを務め、近年は女子サッカーの強豪INAC神戸レオネッサを率いるなど、Jリーグ以外の日本サッカーの姿も熟知している。
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30年以上にわたって母国と日本をつなぐエンゲルス氏に聞く育成論。今回は1990年当時の日本サッカー界の環境を知るからこそ、昨年のカタール・ワールドカップで日本がドイツを2-1で破った試合を見て感じたことについて語った。(取材・文=加部 究)
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ゲルト・エンゲルスが初めて日本の土を踏んだのは1990年だった。
母国の西ドイツ(当時)は、同年のイタリア・ワールドカップで優勝を飾った。ところが、その世界一の国でU-18代表にも選ばれ、トップクラブ(ボルシアMG)の在籍経験も持つ選手が、まだアマチュアしかない日本へ旅立つのだから、当然周囲の視線は懐疑的だった。
「どうして日本なの? サッカー、やっていないでしょう……」
実際エンゲルスは、この頃の日本の現実に直面して少なからずショックを受けた。サッカーのテレビ中継が見当たらず、新聞にも記事がない。公園でサッカー教室を開けば、野球帽を被った子供たちがボールを蹴るのではなく投げ合っていた。
そんな時代を知るからこそ、昨年のカタール・ワールドカップでの出来事は青天の霹靂であり、感慨深くもあった。
「ワールドカップの抽選で、日本がドイツと当たることになった時は本当に嬉しかった。日本での生活は30年間以上になる。ようやくこんな日が来た、とね。もし対戦相手がドイツ以外なら、100%日本の応援をしていた。でも、さすがにドイツが負けた時は少し寂しくなりました」
ドイツの歴史を俯瞰すれば、低い下馬評を覆すことはあっても、番狂わせの標的になることは稀だった。
「カタール大会で戦ったチームは、世界のファンがよく知るドイツではなかった。今までドイツは、内容が良くなくても準決勝や決勝まで勝ち進んできた。よくゲルマン魂の賜物だと言われたものです。ところが今回は、スペインと同じようにとても良いサッカーをしていた。内容を見る限り、日本には10回戦ったら残りの9回は勝つだろうし、もし前半で追加点を奪えていれば申し分なかった」