初来日で「日本人の親切に触れた」 メキシコ右腕をNPB挑戦へ導いた、元DeNA荒波翔との友情
野球のメキシコ代表が、第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で優勝した日本代表「侍ジャパン」と、準決勝で繰り広げた名勝負は記憶に新しい。その中継ぎ要員だった31歳の右腕セサル・バルガスは、メキシコから日本のプロ野球を目指し、昨シーズンまでオリックス・バファローズに在籍していた。WBCで日本と対戦したのを機に、改めて日本に挑戦した日々を振り返った。(取材・文=松本 行弘)
セサル・バルガスが語る日本野球・後編、荒波翔さんと出会い挑戦を決意
野球のメキシコ代表が、第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で優勝した日本代表「侍ジャパン」と、準決勝で繰り広げた名勝負は記憶に新しい。その中継ぎ要員だった31歳の右腕セサル・バルガスは、メキシコから日本のプロ野球を目指し、昨シーズンまでオリックス・バファローズに在籍していた。WBCで日本と対戦したのを機に、改めて日本に挑戦した日々を振り返った。(取材・文=松本 行弘)
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バルガスの日本挑戦は、メキシコのロッカールームで始まった日本選手との交流がきっかけだった。ゴールデングラブ賞2度など好守、俊足の外野手として横浜DeNAベイスターズで活躍した荒波翔さん(37歳)だ。
父親がメキシカンリーグの投手だったバルガスは「メキシコで野球はどちらかといえばマイナーなスポーツだけど、そういう環境で育ったので、野球選手になりたいと思った」。父親の指導を受けて17歳でヤンキースと契約。2015年まで7シーズンを過ごし、傘下の3Aに昇格した。パドレスに移籍すると、2016年4月にメジャー初昇格を果たす。翌月まで7試合に先発したが未勝利のまま、肘を痛めて故障者リスト入り。2018年にナショナルズへ移り、メジャー昇格はなく、オフにFAとなった。
2019年春に帰国してメキシカンリーグのモンテレイ・スルタネスと契約。本拠地のスタジアムのロッカールームで隣になったのが荒波さんだった。DeNAを戦力外となり、メキシカンリーグに挑戦していた。
「ショー(荒波さん)とはたくさん話をさせてもらった」とバルガス。直前の3月に国際親善試合で初来日し、メキシコ代表として京セラドーム大阪で日本代表と2試合を戦っていた。「世界トップレベルの日本の野球を前から知っていた。京セラドームで経験したファンの応援の熱気がエキサイティングで、ここで野球をやってみたいと思った。メキシコ代表をサポートしてくれた日本人スタッフの親切に触れて、日本の文化にも興味を持ち始めていた」という。
荒波さんは当時を振り返る。
「僕が右も左も分からなかった最初の頃、メキシコ代表で日本に行ってきたから、こんな日本語を知っているとか言って、話しかけてくれました。少し仲良くなったら、日本でプレーしたいっていう話がバルガスから出たんですよ。日本の野球はどうなんだと聞かれて、ピッチャーはクイックができたり、フィールディングが良かったりするので、ただ速い球が投げられるだけでは厳しいかもしれないよと話しました。
メキシカンリーグはバッターのパワーやピッチャーの球速は凄い選手がいるんですが、日本のような細かい野球がない。バルガスの投球を見ていたら、真っ直ぐが速い上に、落ちるスライダーで空振りが取れて、コントロールが良く、牽制もできるし、日本でもいけるかもしれないと思いました」