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W杯後に理解した本田圭佑らの言葉の意味 30歳で初出場、乾貴士が衝撃2ゴールで得たものとは

W杯が終わってから乾貴士は本田や岡崎が話していた言葉の意味を理解したという【写真:徳原隆元】
W杯が終わってから乾貴士は本田や岡崎が話していた言葉の意味を理解したという【写真:徳原隆元】

2002年日韓大会を見て抱いたW杯への憧れ

 W杯で印象に残っているのは、2002年の日韓大会だ。当時は中学2年生だったが、日本でW杯が開催され、未曽有の盛り上がりを見せた大会に身震いするような興奮を覚えた。

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「凄かったですよね。自分もいつかはワールドカップに出たいと思って見ていましたし、それ以上に日本でワールドカップを戦えることが凄いなと思っていました。僕がプレーできる間に、日本でワールドカップが開催されることはほぼないじゃないですか。めちゃくちゃ羨ましいと思いました」

 日本代表は小野伸二(現・北海道コンサドーレ札幌)、稲本潤一(現・南葛SC)ら黄金世代と中田英寿らが中心となってW杯史上初のベスト16に進出し、国内は毎日、お祭り騒ぎになった。

「06年のドイツ大会も見ていました。(小野)伸二さん、(中村)俊輔さん、玉(玉田圭司)さんとか凄いメンバーがいて、面白いサッカーをしていたのを覚えています。自分も将来、代表でプレーしてワールドカップに出たいと思っていましたけど、まだ現実的ではなかったですね」

 乾は、それから12年後、W杯の舞台に立つことになる。

 ロシアW杯で乾は左サイドハーフのレギュラーになり、グループリーグからベスト16のベルギー戦まで全4試合に出場した。グループリーグ第2戦のセネガル戦では、1点を先制された後の前半34分に、美しいゴールを決めて同点に追いついた。乾は「コースは狙った通りのところにいった。1点取れて気持ちが楽になった」と語ったが、抱えていた重圧を多少なりとも吐き出したことで、その後のプレーはさらにキレが増し、日本の攻撃の軸になっていった。

 決勝トーナメント1回戦のベルギー戦では、豪快な無回転ミドルでチーム2点目のゴールを記録。日本をはじめ世界でも乾のプレーは称賛され、日本のベスト16進出の快進撃と相まって時の人になった。

「ワールドカップに出て、何かを得たいなというのはありました。でも、そこまで凄い欲があるわけでもなかった。30歳で最後のワールドカップになるし、せっかくそんな大きな舞台に出してもらえるなら楽しまないと、と思っていたので、そんな気負いもなくプレーしていました。評価はされましたけど、僕は試合に出してもらえて点が取れただけ。自分の実力が世界に通用したかというと、そこまでは思えなかった」

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乾 貴士

サッカー元日本代表 
1988年6月2日生まれ、滋賀県出身。野洲高2年時に“セクシーフットボール”と呼ばれた攻撃的なサッカーで高校選手権初優勝。2007年に横浜F・マリノスでJリーグデビュー、翌08年のセレッソ大阪への期限付き移籍を機に香川真司とのホットラインを確立し飛躍した。11年夏にドイツ2部ボーフムへ移籍すると、翌シーズンからは同1部フランクフルトでプレー。15年にはエイバルと契約し、念願のスペイン上陸を果たす。リーガ・エスパニョーラで通算6シーズンを戦い、166試合16得点はともに日本人選手の最多記録。C大阪への復帰を経て、昨年7月に清水エスパルスに加入。2年目の今季は自身14年ぶりのJ2を戦う。日本代表通算36試合6得点。18年ロシアW杯では2ゴールを奪い、日本のベスト16進出に貢献した。

佐藤 俊

1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、大学駅伝などの陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)、『学ぶ人 宮本恒靖』(文藝春秋)、『越境フットボーラー』(角川書店)、『箱根奪取』(集英社)など著書多数。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。

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