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「僕もエースなんだ」 車いすの中大サッカー部員・持田温紀が実現した、創部95年で初の快挙

中央大サッカー部の事業本部に所属、創部以来初のユニフォームスポンサー獲得に動いた【写真:本人提供】
中央大サッカー部の事業本部に所属、創部以来初のユニフォームスポンサー獲得に動いた【写真:本人提供】

スポーツクラスの同級生が改めて気づかせてくれたこと

 サッカーを通して充実した学生生活を送り、スポーツの盛んな桐蔭学園高校へ進学。だが高校1年の夏、自転車事故により脊髄を損傷してしまい、大好きなサッカーができなくなってしまった。

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「そこから入院するようになって、2年生の頃から車いすで生活するようになりました。やっぱり僕はサッカーをやっていたので、足が使えなくなったことで余計に落ち込みが深かったんです。なかなか精神的に難しい部分もあったのですが、そこから前を向く力になったのもサッカーで。それまではあまりサッカーを観ることはなかったのですが、入院中にテレビでJリーグ中継を観たり、外出の機会にJリーグのスタジアムへ試合を観に行くようになって、気持ちいいなと思うようになって。サッカーをやっていたからこそ深く落ち込んだけど、サッカーがあったからこそ、前を向くきっかけにもなれたと感じています」

 高校にも通い直したいと思うようになり、1度留年をして復学。その時、エレベーターから遠いという理由で、本来在籍していた受験クラスではなくスポーツクラスで授業を受けることに。そこで過ごした日々もまた、持田さんの気持ちを前向きなものにさせた。

「僕は最初、『え、スポーツクラスかよ』って思ったのですが、いざ入ってみたら凄く楽しくて。その時のクラスメートにドラフト1位で横浜DeNAベイスターズに入った森敬斗くんや、その年の全国大会で優勝したラグビー部の選手がいたので、スポーツは楽しいな、夢があるなと改めて思ったというか。スポーツクラスにいたことが、大学で自分もサッカーに携わっていこうと思うことに繋がったと感じています」

 2020年、中央大学法学部に進学。そこで商学部の「Jリーグビジネス論」の授業に興味を持つと、担当する渡辺岳夫教授とやり取りをするなかで、1927年に創部された名門サッカー部が改革に乗り出していることを知る。

「中大サッカー部は元々、選手とマネージャー以外の入部を認めていなかったのですが、競技以外の活動にも力を入れるためにそうした学生を受け入れようという流れになっていました。その時に僕が聞いていたのが、近年の大学サッカーは分析ソフトなどすごくお金がかかるようになっていて、部員一人ひとりにかかる負担が大きくなるなかで、サッカーをするために奨学金を借りるような選手もいると。当時の中大は資金面であまり良くなく、関東1部リーグに所属する12チームの中で唯一スポンサーがついていなかったんです。そういう話を聞いていたので、自分がチームの力になれるとしたら、こうした部分なのかなと思いました」

 中大サッカー部の事業本部に所属。コロナ禍もあり、当初は思うように活動はできなかったが、2年時からは「スポーツは人々に力を、元気を与えられる。だからこそ、僕は中大サッカー部を通して、いろいろな方にスポーツの魅力を伝えたい」と積極的に動くようになる。

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