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“8部リーグ”から7年でJ2昇格 いわきFCの奇跡の物語を生んだ、元J1クラブ社長の決断

商業施設を併設したクラブハウスの前に立つ大倉智代表。湘南ベルマーレの社長から2015年に転身【写真:宇都宮徹壱】
商業施設を併設したクラブハウスの前に立つ大倉智代表。湘南ベルマーレの社長から2015年に転身【写真:宇都宮徹壱】

Jクラブ社長を辞して縁もゆかりもない土地に来た理由

「湘南ベルマーレに11年いて、Jリーグ全体を見渡した時、ずっと自問自答していたんです。クラブと地域との連携とか、サッカーが地域のためにもたらしているものとか、そういったものを実感できない自分がいたんです。それを心から感じたいというのが、いわきに来た一番の理由だったと言えるでしょうね」

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 Jクラブの社長というポジションを投げうって、縁もゆかりもなかったいわき市にやってきた理由について、大倉はこのように語っている。妻は自宅のある東京、バレリーナを目指す20歳の娘はハンガリーのブダペストで暮らしている。いわきに単身赴任して8年。「東北といっても、浜通りはわりと暖かくて過ごしやすいんですよ。食べ物も美味しいし、仕事以外の友だちも増えましたし、居心地はいいです」とは当人の弁である。

 すべての始まりは、アメリカのスポーツブランド『アンダーアーマー』の日本総代理店である株式会社ドームが、震災後の雇用を生み出すべく物流センターを作ったことである。そこにサッカークラブを作り、働きながらサッカーを続けたい若者を雇用して、上のカテゴリーを一歩一歩目指していけばいいのではないか──。大学時代からの盟友である、ドームの安田秀一CEOの提案に大倉は前のめりになった。

 問題は「どんなクラブを作っていくか」である。

「最初は、東北1部のクラブと合併する案もあったんです。けれども、最終的に『ゼロから始めるほうがいい』と判断しました。福島県リーグ2部から、一つずつ上がっていったのは、結果として良かったと思っています」

 もう一つ、大倉がこだわったのが「ローカル」であること。「いわきFC」というクラブ名、「株式会社いわきスポーツクラブ」という運営会社。いずれも「いわき」を前面に押し出したのは、大倉の強い意思が反映されていた。

「スポーツって、やっぱりローカルなんですよ。先行する福島ユナイテッドFCさんは、福島を一つにすることを目指したネーミングになっていますが、福島県は浜通りと中通りと会津でぜんぜん違います。そうした現実があるなか、我々は『いわき』を前面に押し出すことにしたんです」

 その上で、クラブが突き詰めたのが「日本のフィジカルスタンダードを変える」というテーゼ。ボールを使ったテクニカルなトレーニングよりも、ストレングスやランニング、さらにはサプリメントを効果的に使った肉体改造によって、選手たちは強靭な肉体と無尽蔵の持久力を身につけることとなった。

 県リーグ、東北リーグ、JFL、そしてJ3。圧倒的なフィジカルと走力で、次々と相手をなぎ倒していく、いわきFCのサッカー。それは当初、「異端」とも「キワモノ」とも呼ばれていた。それでも彼らは、毎年のように各カテゴリーを優勝して昇格を繰り返していく。そして2023年、ついに彼らはJ2にまで到達した。

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宇都宮 徹壱

1966年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」を追う取材活動を展開する。W杯取材は98年フランス大会から継続中。2009年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞した『フットボールの犬 欧羅巴1999-2009』(東邦出版)のほか、『サッカーおくのほそ道 Jリーグを目指すクラブ 目指さないクラブ』(カンゼン)、『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)など著書多数。17年から『宇都宮徹壱WM(ウェブマガジン)』を配信している。

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