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高校サッカーの名門“市船”の重みとシゴキ 北嶋秀朗「すべて肯定するわけではなく…」

昨年のカタール・ワールドカップで、強豪ドイツとスペインを破った日本代表は4度目のベスト16進出を果たし、Jリーグは今年、1993年の開幕から30周年を迎えた。新たな歴史の1ページを一つひとつ書き加えながら、さらなる高みを目指して前進する日本サッカー。北嶋秀朗(44歳)も、そんな歴史とともに奮闘してきた蹴球人だ。サッカーへの情熱を燃やしながら歩んできた道と、指導者としての今を描くインタビュー。第1回では高校サッカーの“名門”、市立船橋での日々と厳しさの中で得たものを振り返ってもらった。(取材・文=小宮 良之)

高校3年時の選手権で北嶋秀朗は2度目の日本一を経験。自身も6ゴールを決め得点王に輝いた【写真:青木紘二/アフロスポーツ】
高校3年時の選手権で北嶋秀朗は2度目の日本一を経験。自身も6ゴールを決め得点王に輝いた【写真:青木紘二/アフロスポーツ】

北嶋秀朗「指導者10年目の視点」第1回、高校時代の厳しさと宝物のような日々

 昨年のカタール・ワールドカップで、強豪ドイツとスペインを破った日本代表は4度目のベスト16進出を果たし、Jリーグは今年、1993年の開幕から30周年を迎えた。新たな歴史の1ページを一つひとつ書き加えながら、さらなる高みを目指して前進する日本サッカー。北嶋秀朗(44歳)も、そんな歴史とともに奮闘してきた蹴球人だ。サッカーへの情熱を燃やしながら歩んできた道と、指導者としての今を描くインタビュー。第1回では高校サッカーの“名門”、市立船橋での日々と厳しさの中で得たものを振り返ってもらった。(取材・文=小宮 良之)

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 北嶋秀朗は、Jリーグ30年を代表するストライカーの1人と言えるだろう。1997年に加入した柏レイソルではJ1、J2優勝を経験し、クラブワールドカップ出場も成し遂げた。J2やカップ戦をすべて含めると、367試合84得点。日本代表にも選出され、3試合1得点。2000年には、トルシエジャパンでアジアカップ優勝メンバーにもなっている。

 その北嶋はどんなサッカー選手人生を送ったのか。高校時代を中心にプロ選手になってからの葛藤と成長、そして指導者人生まで北嶋に余すところなく語ってもらった。現場の実情に迫る短期集中連載インタビュールポ。彼が見た景色を通じ、1人の人間がどう生きて、1人の選手がどう歩むべきか、そのヒントが見つかるかもしれない。

 まず紐解くべき物語は、やはり市立船橋高校にあるだろうか。2度の全国高校サッカー選手権優勝という栄光。通算16得点は当時最多だった。“市船”の重みとは――。

 今から20年以上前の高校時代の部活を、現代のものと照らし合わせるのは難しい。どの高校の部活も、上下関係など不条理は少なからずあった。いわゆるシゴキだ。

 しかし、北嶋秀朗自身は純粋に「今」を必死に生きていたという。

「市船は夏合宿があるんですけど、1日練習で。朝起きて、いきなり紅白戦をやっていました」

 北嶋はそう言って笑みを浮かべる。

「1年対2年、2年対3年とか、学年対抗でやるんですよ。1年対2年は1年が1点リードでスタートするんですけど。先輩から『早く点決めさせろ』って脅されて、追いつかせてからがスタート(笑)。失点数×10本で、市船伝統の『16秒』ってあるんですけど、100メートルを16秒で行って戻ってくる。これがあるんで、なかなかつらかったです(苦笑)」

 問答無用の厳しさのなか、誰もが突っ走っていた。

「ミニボールでドリブルしながらコーチの周りをぐるりと回ってから、GKが立った小さなゴールにシュートを打つ練習があるんです。10本打つんですけど、1本外すごとに×10。だから最初の1本を外すと、やばいって(笑)。8本外したことがあって、80本はきつくて。こんなの終らないよって。少しでも遅れると、次の練習がどんどんあるから『早く戻れ、なんでそんな時間かかってんだ!』って怒鳴られて。『だって80本も打ってんすよ』とは言えないですけどね(笑)」

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北嶋 秀朗

サッカー元日本代表 
1978年5月23日生まれ。千葉県習志野市出身。名門・市立船橋高(千葉)で1年時から頭角を現し、高校サッカー選手権を2度制覇。3年時の大会では6ゴールを奪い得点王に輝いた。卒業後は柏レイソルに加入し、プロ4年目の2000年シーズンにはJ1リーグ戦で30試合18ゴールをマーク。日本代表にも招集され、同年のアジアカップに出場した。柏には通算12年半在籍し、11年には悲願のJ1優勝。ロアッソ熊本に所属していた13年限りでスパイクを脱いだ。引退後は指導者の道へ進み、熊本、アルビレックス新潟、大宮アルディージャでコーチを歴任。23年からJFLクリアソン新宿のヘッドコーチに就任した。

小宮 良之

1972年生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。トリノ五輪、ドイツW杯を現地取材後、2006年から日本に拠点を移す。アスリートと心を通わすインタビューに定評があり、『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など多くの著書がある。2018年に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家としてもデビュー。少年少女の熱い生き方を描き、重松清氏の賞賛を受けた。2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を上梓。

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