入江陵介「もう水泳と関わりたくないと」 それでも“30歳の東京五輪”を目指す理由
東京五輪の挑戦決断に影響を与えた人物は? 「あの2人がいたから…」
「幸いなことに五輪が決まる瞬間に立ち会うことができた。どれだけの人が東京に呼ぶのに頑張って五輪というものがあるかを知って、外からではなく中から選手として関わるのことができるにも関わらず、手放してしまうのはもったいないと思ったんです」
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30歳で迎える東京五輪に決めた挑戦。年齢としてはベテランに入る域だ。体力の不安は「もちろんあった」という。しかし、お手本とするべき存在がいた。北島康介と松田丈志だった。
「周りを見渡すと北島さん、松田さんが30歳を超えても活躍されているのを近くで見ていた。年齢も意識せずにできたのは、あの2人がいたからじゃないか。前例がないと、ある意味挑戦でどうなるかと思ったけど、近くで北島さん、松田さんを見て30歳を超えてもトップにいる姿を見てきただけに『(自分はまだ)30歳ならいけるだろ』という気持ちにさせてもらいました」
だからこそ、年齢を恐れず、変化を求めた。16年から練習の拠点を米国に移した。
「東京まで4年間と考えた時、今の環境の自分の心では絶対できないなと思ったので、ガラッと環境を変えることしか自分の中ではなかった。同時にコーチがリオ五輪で引退することも重なって、思い切って外でやりたいと。特に2017年は1年間、代表としては活動する予定ではなかったので、あまり人に触れられずに離れたところでやりたいという思いでいました」
ただ、孤独な環境だ。日本語も話さない。1人でごはんを作り、1人で盛り付け、1人で食べて片付けという生活を続け、「自分は何のために食事と向き合ってるんだろう、みたいな寂しさを味わっていた」と笑う。それもすべては一度は身を引きかけた競技人生を全うし、東京五輪で完全燃焼するため。パワー型の米国選手に交じっての練習で得られるものも大きかった。
「みんな、2時間くらいで上がったりする。その辺りは割り切って集中できてるのかなと。でも、筋力がすごく一回り増えたと言われるし、足もトレーニングして水着のサイズも1、2サイズどんどん上がっている。それくらい体が大きくなっていると思います」