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日本サッカー史上唯一、W杯予選途中の解任劇 指揮官が語る「腹括った」瞬間

絶対に失敗が許されなかったフランスW杯予選

 そんな自他ともに強運を認める加茂の最後の挑戦が、当時未知の世界だったワールドカップ(W杯)への出場だった。

 日本が最もサッカーに熱くなっていた時期だった。1993年にJリーグが開幕し空前のサッカーブームが到来するなかで、日本代表は同年にW杯初出場への道を突き進むが、手にしかけた切符を土壇場でつかみ損ねた。「ドーハの悲劇」である。

 一方で2002年には、日韓W杯の開催が決まっていた。W杯の歴史を通しても、本大会出場経験なしで開催した国は皆無だった。つまり98年フランス大会は、そんな汚名を避けるラストチャンス。日本中が成否に殺気立っていた。

 カタールのドーハで集中開催となった93年とは異なり、97年フランス大会のアジア地区最終予選は10か国が2つのグループに分かれ、ホーム&アウェー方式で行われた。グループ首位なら、そのまま本大会への出場が決まる。2位なら、もう一つのグループ2位とのプレーオフが待っていた。

 日本は1勝1分で迎えた3戦目にライバル韓国と東京・国立競技場で対戦し、1-2で痛恨の逆転負けを喫した。この時点で暗雲が立ち込め、続くカザフスタンとのアウェー戦では終了間際に同点弾を許して1-1で引き分ける。

 日本にとっては、絶対に失敗が許されない予選だった。日本サッカー協会(JFA)は遠征途中で加茂の解任を決め、続く敵地ウズベキスタン戦からは、コーチだった岡田武史に指揮を執らせる決断をする。

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加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近、選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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