年俸240万円→1億円守護神→TJ手術 激流の20代を生きたロッテ西野勇士の忘れ得ぬ4年間
負けず嫌いな西野を掻き立てた環境「絶対負けたくない」
入団時の年俸は240万円。金銭的に余裕がない中でも「今しかない」と自己投資を惜しまなかった。球団のサポート外でも個人的にジムを探して通い詰めた。
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若くして高額な契約金を得ることも可能な世界。プロという肩書でもてはやされ、勘違いし、野球に集中しきれていないように見えてしまう選手も球界を見渡せばいた。「先に稼げばいいのに、なぜだろう?」。そうした選手の存在が、若き西野のハングリー精神を掻き立てた。
「絶対負けたくないっていう、負けず嫌いな部分が生きたと思います。若い時にやらないとダメだって僕は思っていたので」
雌伏の時を経て支配下契約を掴み、2015年の契約更改では、育成出身としては元巨人・山口鉄也以来2人目の年俸1億円に到達。入団から40倍以上の昇給を果たした。でも、西野は変わらない。18年からは米国の「ドライブラインベースボール」を自費で利用。理想の投球を追求する姿勢はリハビリ中も忘れなかった。
育成、1億円守護神、大手術と、プロでは激流のような20代を過ごした。酸いも甘いも知る西野だから、人が苦しい時、迷った時になにかヒントになる考えを聞けるのではないかと、今回取材を申し込んだ。悩める人、後輩に相談された時、あなたならどんな考えを伝えますか? 質問にゆっくり、はっきりと答えてくれた。
「ゴールだけを見ていると、その距離って結構遠く感じることが多いと思うんです。それこそ『無理だ』って思っちゃうくらいに。だから、僕はなんでも近い目標を立てるようにしています。
漠然とゴールだけを見ず、そこに行くためにどんなステップを踏むかを考えて、近い目標をバーッて立てて。これができた! 次はこれ、次はこれ……って。達成したら嬉しいですし、気持ちも次につながる。少しずつを積み重ねていくために、小さい目標をたくさん立てることが大事だと思います」
そんな西野の小さな目標の一つが、後半戦もきっちりチームに貢献し、復帰シーズンをやり抜くこと。「穴を埋められる存在になれると思っているし、埋められることができたらいい」。先発、リリーフどちらの経験もあるだけに、求められればどこでも行く気だ。
広報を通じたリハビリの経過報告に対して声援を届けてくれた熱いマリーンズファン、辛く長いリハビリ期間を支えてくれた家族に報いたいという思いも強い。肘に不安のなくなったストイック右腕。30代ではどんなプロ人生を歩むのか、これからに注目したい。
■西野勇士(にしの・ゆうじ)
1991年3月6日、富山・高岡市出身の31歳。新湊高から08年育成ドラフト5位でロッテ入団。4シーズンを育成選手として過ごし、12年11月に支配下選手登録された。伊東勤監督が就任した13年は先発として9勝をマーク。ポストシーズンはリリーフで好投したこともあり、14年からクローザーに抜擢された。16年までの3年間で86セーブをマーク。17年は先発に再転向したが、右肘の故障で5試合登板に終わった。18年以降は先発、リリーフの両方を経験。20年開幕前の練習試合で右肘を痛め、トミー・ジョン手術。21年フェニックスリーグで復帰し、今季は開幕から1軍中継ぎで貢献している。183センチ、90キロ。右投右打。
(THE ANSWER編集部・宮内 宏哉 / Hiroya Miyauchi)