[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

年俸240万円→1億円守護神→TJ手術 激流の20代を生きたロッテ西野勇士の忘れ得ぬ4年間

苦しい日々に4年間耐えたのは、「自分はやれる」という強い思いがあったからと話す西野【写真:球団提供】
苦しい日々に4年間耐えたのは、「自分はやれる」という強い思いがあったからと話す西野【写真:球団提供】

12年秋には恐怖のホラー体験「俺、クビだわ…」

 故障から1年4か月後、21年10月のフェニックスリーグで実戦復帰。最初の試合でいきなり絶望した。登板を終え、手術前と変わらないほどの強い痛みを感じたからだ。「これは投げられない、ヤバいぞ……」。ただ、不安はすぐに希望に変わった。

【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら

 中4日の登板間隔で、投げるたびに右肘の回復力が向上していった。オフには腕が全力で振れるように。「もしかしたら、行けるかも」。そのまま今季3年ぶりに1軍登板を果たし、前半戦は防御率1点台。新型コロナウイルス感染で約1か月離脱したが、今月また1軍に復帰した。今季ここまで26試合で防御率2.10、11ホールドを記録している。

 トミー・ジョン手術を受けた選手は復帰翌年以降に本来の力を取り戻すケースも多いが、中継ぎで既に貢献している。

「手術明けのシーズンですけど(前半戦は)意外とやれてるなという実感はあります。来年が本番という見方もありますが、1軍にいるからにはステップアップの年だとは考えていません」

 富山・新湊高から08年育成ドラフト5位で入団し、守護神にまで成り上がった。大怪我から完全復活を目指す不屈の右腕を支えているのは、間違いなく育成選手として過ごした4年間だ。

「ホントにいろいろあったんですよね。ある程度結果を残しても、なかなか支配下になれなかったり……自分がやれると思っていても、タイミングとか運もある。上手くかみ合わず、心がしんどかったですね」

 当時は今とは育成選手の待遇も違った。選手寮ではなく、少し離れた施設に住み、ロッテ浦和球場に専用ロッカーもなかった。2年目、3年目はファームで防御率2点台。支配下選手よりチャンスが少ない中でもアピールを続けたが、なかなか背番号を2ケタにしてもらえなかった。12年秋には、恐怖に震える「ちょっとしたホラー」を体験した。

 ファーム日本選手権で優勝し、帰京した育成メンバーで牛丼チェーン店の松屋で食事していた時。1人の携帯に球団から電話がかかってきた。「俺、クビだわ……」。1人終わると続けて別の1人、また別の1人……と、続々戦力外に関する電話が続き、その場がどんどん凍り付いていく。西野も着信を覚悟したが、黒沢翔太投手と自分の2人だけには、電話はかかって来なかった。

 支配下登録だけを目指し、苦しい日々に4年間耐えた。高校時代の同級生と「しんどい」「頑張れ」のやりとりをしたのも1度や2度ではない。それでも辞めなかったのは、「自分はやれる」の強い思いからだ。

「支配下の選手より、絶対やれるという自信もあったし、プロの世界でやり続けることで、もしそのチームでチャンスがなくても、ほかのチームが獲ってくれるかもしれない。プロでしかアピールしかできないものもあるので。とにかく何が何でもと、そういう気持ちでやるしかなかった」

1 2 3 4
W-ANS ACADEMY
ポカリスエット ゼリー|ポカリスエット公式サイト|大塚製薬
DAZN
ABEMA Jleague
スマートコーチは、専門コーチとネットでつながり、動画の送りあいで上達を目指す新しい形のオンラインレッスンプラットフォーム
THE ANSWER的「国際女性ウィーク」
N-FADP
#青春のアザーカット
One Rugby関連記事へ
THE ANSWER 取材記者・WEBアシスタント募集