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中津江村とカメルーン“遅刻騒動” 夜中3時到着も村民130人歓迎、日韓W杯から続く交流

カメルーンを全力で応援する村長・坂本休さんの姿は英字紙でも報じられた【写真:宇都宮徹壱】
カメルーンを全力で応援する村長・坂本休さんの姿は英字紙でも報じられた【写真:宇都宮徹壱】

日田市に編入後も残った「中津江村」の名前

「中津江村は2005年5月、前津江村、上津江村、大山町、天瀬町とともに日田市に編入されました。ワールドカップで有名になった坂本休さんは、中津江村の最後の村長さんだったんです。ただし、前津江や上津江が村から町になったのに対し、中津江は編入後も村のままとなりました。流行語大賞のインパクトも確かに大きかったですが、子供たちにアンケートを取ったところ『中津江村の名前を残してほしい』という意見が多かったそうです。それを坂本さんが重視したことも、大きな要因だったみたいですね」

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 そう語るのは、カメルーンがキャンプを張った鯛生(たいお)スポーツセンターに勤務する津江みち、46歳である。生まれも育ちも中津江村。大学時代にいったん村を離れたものの「こっちは居心地がいいんですよ。誰もが顔見知りで、何かあったらすぐに助け合いますから」と笑顔で語る。

 実は当初、元村長の坂本への取材の可能性を模索していた。しかし92歳となる今、体調面で長時間でのインタビューに不安があるとのこと。そこで当時、スポーツセンターに職を得て3年目だった津江が、代わって取材に応じてくれることになった。

 鯛生スポーツセンターは、大分市から高速と下道を使っておよそ2時間。急峻な山道(通称「カメルーン坂」)を登りきったところにある。中津江村の鯛生地区には、もともと金鉱山があり、山を掘った残土を積み上げた土地を有効活用するということで、学生向けのスポーツ合宿所が作られた。これが1990年の話だ。

「当初からスポーツ合宿は、ラグビーとサッカーの2本立て。ただしグラウンドは当時、そんなにきれいではなくて、宿泊施設も大部屋の和室だけでした。それが国からの補助金が降りることになり、ワールドカップのキャンプにふさわしく改装されたんです。宿泊施設は和室から洋室になり、二段ベッドも選手のサイズに合わせたベッドを入れて、グラウンドにも照明塔が設置されることになりました」

 キャンプ候補地として正式に申請したのが1999年9月、JAWOC(W杯日本組織委員会)に公認されたのが2000年11月、そしてカメルーンの協会と正式調印したのが、2001年11月29日のことである。ここまでは順調そのもの。カメルーン代表は5月19日に中津江村に到着することになっていた。

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宇都宮 徹壱

1966年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」を追う取材活動を展開する。W杯取材は98年フランス大会から継続中。2009年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞した『フットボールの犬 欧羅巴1999-2009』(東邦出版)のほか、『サッカーおくのほそ道 Jリーグを目指すクラブ 目指さないクラブ』(カンゼン)、『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)など著書多数。17年から『宇都宮徹壱WM(ウェブマガジン)』を配信している。

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