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中田英寿を「孤立させなかった」仲間を想う行動 松田直樹が放った理屈を超えた求心力

チームに一体感を生んだ日韓W杯直前のワンシーン

 松田は2002年の日韓W杯で、日本代表のベスト16進出を力強いディフェンスで支えたが、周りから愛されるパーソナリティこそ、唯一無二だった。やや乱暴な言動も目立った。しかしむしろ、その人間味がチームを一つにした。

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 トルシエジャパンで、松田はどこか他人と距離を取るところがあった中田英寿をみんなと結びつけている。大会前のキャンプ、プールサイドでチームが団らんを囲むなか、まだ冷たい水に監督から選手が落ちて笑いを誘う。一番端で関わらないようにしていた中田を、彼は大声で巻き込んだ。

「中田が跳ぶぞ! 5秒で跳ぶぞ!」

 松田の掛け声によって、大勢で一斉に中田をプールへ突き落とし、大いに沸いた。W杯に向かう、何気ない一瞬だった。ただのバカ騒ぎにも見えるが、そうしたコミュニケーションは意味を持っていた。

 松田は仲間同士の機微を感じ、集団を好転させる行動を少しの気取りもなくやってのけるところがあった。

 もっとも、サッカーに対しては厳しい一面も持っていた。ある選手がロッカールームで、「〇〇は凄い、天才。絶対に敵わない」と相手選手について手放しで称賛していた時、怒りをぶつけたこともあった。

「これから対戦する敵の同じポジションの選手を軽々しく褒めるんじゃねぇよ。やる前から負けているんだったら、プロサッカー選手なんて、とっとと辞めちまえって」

 言葉は強かったが、真理だった。それは発奮を促すもので、気に懸けていた選手だからこその叱咤だろう。彼には戦いの心得があった。

「俺は気持ちが弱いんすよ」

 松田は、そう告白したことがあった。

「Jリーグに入った頃、生意気なことを言っていたけど、内心はびびっていた。ラモン・ディアスやビスコンティという世界的な選手、他にも日本代表選手ばっかりで、パス一つでもミスったらどうしようと、びくびくしていた。そんな気持ちを隠すために大口を叩いた。適当にやるなんてもんは、俺にあり得なかったし、いつも腹を括って。自分にとってサッカーはすべてで、常に真剣勝負だったからね」

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小宮 良之

1972年生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。トリノ五輪、ドイツW杯を現地取材後、2006年から日本に拠点を移す。アスリートと心を通わすインタビューに定評があり、『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など多くの著書がある。2018年に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家としてもデビュー。少年少女の熱い生き方を描き、重松清氏の賞賛を受けた。2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を上梓。

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