宮城スタジアムは「負の遺産」か 日韓W杯“終戦”の地、解体危機を経た20年後の姿

地域住民がスポーツを楽しむ場として機能
ネックとされてきたアクセスの悪さも、自家用車での移動が当たり前の地域住民にはなんら問題はない。大規模イベントでなければ、渋滞に巻き込まれる心配もない。宮城スタジアムは、地域住民がスポーツを楽しむ場としては、今でも十分に機能している。W杯スタジアムの「余生」としては、これはこれで“あり”なのかもしれない。
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かつては「さっさと壊したほうがいい」と主張していた村松も、20年という月日をともに歩んできた宮城スタジアムには、ひとかたならぬ愛着を感じている様子。そんな彼に、2002年W杯がこの地に残したものについて、最後に語ってもらった。
「まずボランティア文化が定着したこと。大会後、ベガルタだけでなく、楽天イーグルスやBリーグの仙台89ERSにも、ボランティアが付くようになりました。プロ野球界でのボランティアは前例がなくて、他球団も真似しましたけれど、今も続いているのは楽天だけです。それと県民のスポーツ意識が高まったこと。これだけ気軽に、スタジアムを利用できるようになりましたからね。ここの子供たちは、本当に贅沢ですよ(笑)」(文中敬称略)
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(宇都宮 徹壱 / Tetsuichi Utsunomiya)
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