日韓W杯から20年、鈴木隆行の今 スクール5校運営、「本物の指導者」へ下積みの日々
2002年日韓ワールドカップ(W杯)の開催から、今年で20周年を迎えた。日本列島に空前のサッカーブームを巻き起こした世界最大級の祭典は、日本のスポーツ界に何を遺したのか。「THE ANSWER」では20年前の開催期間に合わせて、5月31日から6月30日までの1か月間、「日韓W杯、20年後のレガシー」と題した特集記事を連日掲載。当時の日本代表メンバーや関係者に話を聞き、自国開催のW杯が国内スポーツ界に与えた影響について多角的な視点から迫る。
「日韓W杯、20年後のレガシー」#20 鈴木隆行の回顧録・第3回
2002年日韓ワールドカップ(W杯)の開催から、今年で20周年を迎えた。日本列島に空前のサッカーブームを巻き起こした世界最大級の祭典は、日本のスポーツ界に何を遺したのか。「THE ANSWER」では20年前の開催期間に合わせて、5月31日から6月30日までの1か月間、「日韓W杯、20年後のレガシー」と題した特集記事を連日掲載。当時の日本代表メンバーや関係者に話を聞き、自国開催のW杯が国内スポーツ界に与えた影響について多角的な視点から迫る。
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グループリーグ初戦のベルギー戦(2-2)で魂の同点ゴールを決め、一夜にして日本の国民的ヒーローとなった鈴木隆行は2015年限りで現役を引退。指導者の道へと進み、現在は幼稚園から小学生年代を対象にしたスクール「UNBRANDED WOLVES SOCCER SCHOOL」を運営している。自らグラウンドに立ち、情熱を持って子供たちを直接指導しているが、その背景にはどんな想いがあるのか。46歳となった鈴木の今を追った。(取材・文=二宮 寿朗)
◇ ◇ ◇
2011年3月10日。
当時USL(米ユナイテッドサッカーリーグ)に属していたポートランド・ティンバーズで3シーズンを過ごした鈴木隆行はアメリカから帰国した。サッカーに対する鈴木の情熱を評価していたティンバーズ側からは、引退するのであればスタッフとしてクラブに残ってほしいと打診を受けていた。鈴木本人も前向きだった。
その翌日に東日本大震災が起こった。
ニュース映像に広がる信じられない光景。未曾有の被害に、言葉にならないほどのショックを受けた。被災地のことを思うと何も手につかなかった。ティンバーズのことも何も考えられない。これからの自分がどんなキャリアを歩んでいけばいいのか、まったく見えなくなっていた。
震災から2か月以上が過ぎていた。体も動かしていないため、現役続行という選択肢はほぼ消えていたと言っていい。
「家族とずっと一緒にいました。そろそろ決心して何か動き出さなきゃいけないと思うと、結局はサッカーしかないなって。コーチでもスタッフでもなんでもいいから、まずはボランティアで携わることができたらいいなと考えました」
ふとしたことから、地元・茨城のクラブである水戸ホーリーホックが経営危機にさらされているニュースを思い出した。震災によって茨城も大きな被害を受けたことを目の当たりにしていた。