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松田直樹、日韓W杯の残像 「ビビりまくっていた」男を奮起させた、自室に貼った写真

日韓W杯後に辿り着いたDFとしての新たな境地

 松田は、常に強い相手を求めた。「実はビビりまくっていた」と明かしたが、同時に「ミスしたらやられる、っていう緊張感が好きだった」とも漏らしていた。どちらも本音だろう。

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 敵との真剣勝負に心が浮き立つのは、欧州のトップディフェンダーたちにも共通する資質だ。

 ディフェンダーは、ストライカーと対で成り立つポジションである。「怪物」と言われるストライカーと対峙することで、守備者としての腕も上がる。限界を超えるやり取りの連続によってのみ、たどり着ける領域があるのだ。

「新しいディフェンダー像を日本で作りたい」

 日韓ワールドカップ後、松田はそう言って自らを叱咤した。巨大なトーナメントを戦った燃え尽き症候群を感じながらも、足を止めることはなかった。だからこそ、Jリーグ連覇という偉業もやってのけた。

「海外のクラブから、いくつかオファーはあった。でも、本気で考えたことはない。自分はマリノスで全力を尽くせたから、Jリーグで16年もプレーできたし、タイトルも獲れた」

 松田は晴れやかな顔で言っていた。Jリーグで成し遂げたことは金字塔である。欧州で活躍できたか――という“たら・れば”は無意味だ。

「昔、トルシエが言っていた『ラインで遊べ』の意味が分かってきた。必死こいて相手に食いつかなくていいんだって思えるようになったし、わざと打たせたり、もっと周りを使って守ったり。センターバックは奥が深いよ」

 生前、彼は楽しげな顔で言っていた。たとえ海を渡らなくとも、ディフェンダーとして境地に辿り着いたのだ。

(小宮 良之 / Yoshiyuki Komiya)

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小宮 良之

1972年生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。トリノ五輪、ドイツW杯を現地取材後、2006年から日本に拠点を移す。アスリートと心を通わすインタビューに定評があり、『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など多くの著書がある。2018年に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家としてもデビュー。少年少女の熱い生き方を描き、重松清氏の賞賛を受けた。2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を上梓。

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