中田英寿とトルシエ、日韓W杯「1年前の確執」 通訳がいま明かす“豪雨会談”の真相
中田は異文化の人たちとの会話や考え方に「スッと入れていた」
トルシエ監督との信頼関係を構築する上で、選手が意見を持っていることは重要だったという。
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「フィリップは選手から意見を言われた瞬間は不機嫌になったり怒ったりするけど、少し時間が経ち、それが理に適った意見だと感じれば、ああ見えて参考にするタイプだったんです。だから自分の意見を言わない選手のほうが、『何を考えているのか分からない』と判断され、損をしてしまう。
ある意味、あの時のチームで『唯一の大人』が中田だったと言えるのかもしれません。彼より年齢が上の選手はいたけど、外国人監督への理解というか、異文化の人たちとの会話や考え方にスッと入れていたのは凄いなと思いました」
欧州クラブで活躍する日本人選手がまだ少なかった時代。そのパイオニア的存在としてイタリアで結果を残し、道を切り拓いてきた中田は日本代表でも文字通りの大黒柱として君臨し、日韓W杯のベスト16進出に大きく貢献した。そんな絶対的エースの姿は、一時期の確執こそあったものの、トルシエ監督にとっては特別なものだったようだ。
(第4回へ続く)
【第1回】就職3か月でトルシエの通訳へ ダバディの運命を変えた“Jリーグ愛”と「根拠なき自信」
【第2回】「赤鬼」と呼ばれたトルシエの素顔 通訳が語る緻密さ、訳しながら“鳥肌が立った”瞬間
【第4回】韓国が日本より「強かったとは思わない」 日韓W杯トルコ戦、ダバディが今も悔やむこと
■フローラン・ダバディ / Florent Dabadie
1974年11月1日生まれ、フランス・パリ出身。パリのINALCO(国立東洋言語文化学院)日本語学科で学び、卒業後の98年に来日し映画雑誌『プレミア』の編集部で働く。99年から日本代表のフィリップ・トルシエ監督の通訳を務め、2002年日韓W杯をスタッフの1人として戦った。フランス語、日本語など5か国語を操り、02年W杯後はスポーツ番組のキャスターや、フランス大使館のスポーツ・文化イベントの制作に関わるなど、多方面で活躍している。
(THE ANSWER編集部・谷沢 直也 / Naoya Tanizawa)