[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

中田英寿とトルシエ、日韓W杯「1年前の確執」 通訳がいま明かす“豪雨会談”の真相

あの時の2人が話したところで「折り合うはずがない」

 W杯前年のプレ大会として日本で開催されたコンフェデ杯だが、欧州主要リーグのシーズンが終了しておらず、中田の招集を巡っては当初からセリエAで優勝争いを演じるローマが難色を示し、日本代表との間で微妙な空気が流れていた。トルシエは当然、代表監督として中田を最後まで起用することを主張し、一方の中田は日本人初のセリエA優勝の瞬間に立ち会うことを希望。溝が埋まらぬまま、最終的に準決勝後にイタリアへ戻ることになった。

【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら

 そして豪雨のなか、横浜国際総合競技場で行われたオーストラリアとの準決勝で、中田は低弾道の直接FKを叩き込み1-0の勝利に貢献。チームをフランスとの決勝に導いた試合後、雨が降りしきるピッチ上で2人の“直接会談”が始まった。

 通訳としてその場に立っていたダバディ氏は、「2人とも、お互いに怒っていた」と振り返る。

「なんとかして引き留めたいフィリップは、『100%中田が悪い』『エゴイストで、自分のことしか考えていない』と熱くなっていましたね。それに対して中田はもっと理性的で、『海外の人だってコンフェデを、そこまで重要な大会だと思っていないでしょ?』と冷静に話していた。

 ただ、あの時の2人の立場、状況を考えれば直接話したところで折り合うはずがないんです。確かにコンフェデはそこまで重要な大会ではないけど、フィリップにしたら決勝でフランスにもし勝てば、日本にとって1年後のW杯へ向けてどれだけの自信になるのかと当然考える。相手もジダンはいないし、ベストメンバーではなかったから、そのチャンスもありました。一方で中田が、ローマの一員としてセリエA優勝の瞬間に立ち会いたいという気持ちも、僕には十分理解できた。日本サッカーの歴史の1ページになるわけだから、イタリアに戻りたいと主張するのも当然。結局そのまま折り合わずに、2人の関係性は一時冷え切ってしまった。日韓ワールドカップを前に修復されたけど、あの時、僕にできることはなかった」

 コンフェデ杯で起きた確執はメディアでも大きく取り上げられ、指揮官とエースの対立はチームに不穏な空気を漂わせた。ただダバディ氏によれば、それでも中田の存在はトルシエ監督にとって「やりやすい選手だったはず」と振り返る。

「中田はフィリップや僕を、“外国人”と見ていなかったと思います。最先端の戦術論とか、監督の考え方に純粋に興味を持っていて、本当にフィリップと同じレベルに立ち、年齢差があっても全然萎縮しないし、同じサッカー仲間として話し合い、自分の意見も言っていました」

1 2 3
W-ANS ACADEMY
ポカリスエット ゼリー|ポカリスエット公式サイト|大塚製薬
DAZN
ABEMA
スマートコーチは、専門コーチとネットでつながり、動画の送りあいで上達を目指す新しい形のオンラインレッスンプラットフォーム
THE ANSWER的「国際女性ウィーク」
N-FADP
#青春のアザーカット
One Rugby関連記事へ
THE ANSWER 取材記者・WEBアシスタント募集