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日韓W杯から17年後の「奇跡」 日本ラグビーの歴史的勝利で一変したエコパの未来

自身もラグビー経験者である、静岡県のスポーツ局スポーツ政策課課長の大石哲也氏【写真:宇都宮徹壱】
自身もラグビー経験者である、静岡県のスポーツ局スポーツ政策課課長の大石哲也氏【写真:宇都宮徹壱】

「エコパでラグビーをやりたい!」という需要が増加

「ラグビーワールドカップと東京2020が終わりましたので、これらビッグイベントをレガシーにしていくことを始めています。これからは競技力の向上だけでなく、県民意識の高揚や文化としてのスポーツ振興、そしてイベントや合宿の誘致もやっていこうと考えています」

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「なるほど」と思うと同時に、「とはいえ」という感情が芽生える。そもそも2002年のW杯では、どのようなレガシーが静岡に残ったのだろうか。私の問いに「2002年の時は静岡に限らず、どの開催都市にもレガシーという概念はなかったと思うんです」と大石。そして、こう続ける。

「大会後に戻ってきたお金を基金として、静岡では育成年代に投資をすることになりました。現在でも続いているのが、清水と磐田のジュニアユース、静岡県選抜等が参加する、静岡ゴールデンサッカーアカデミーです。海外から2つのジュニアユースチームを招いて、エコパで試合を行ったり、来日したコーチによる指導者講習を開いたりしていました。これが静岡における、2002年のレガシーと言えるでしょうね」

 育成年代への投資を、否定するつもりは毛頭ない。けれども「サッカー王国」におけるW杯のレガシーとしては、いささか物足りなさが感じられるのも事実。加えて2002年以降、日本代表メンバーに静岡県出身者が増えたかと言えば、むしろ減少の一途をたどっている。少し厳しい見方になるが、W杯開催を契機に地域のサッカーが発展した新潟や大分と比べると、静岡は変化に乏しかったと言わざるを得ない。

 そんななかで天恵となったのが、2019年のラグビーW杯。エコパは日本代表の試合会場に選ばれ、さらには「シズオカの奇跡」の舞台にもなったことだ。大会後、ラグビーファンの間でエコパは聖地級の扱いとなり、さらには「エコパでラグビーをやりたい!」という需要が一気に増えていった。

 身を乗り出すようにして大石が語る。

「あのアイルランドに日本が勝利した会場ということで、エコパはラグビー関係者にとってのブランドになりました。ここでプレーできるとなれば、誰もが感動するし、モチベーションも上がる。そのうち秩父宮や花園に続く、新たなラグビーの聖地になるのではないかという機運が、我々の間でも高まっていきました」

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宇都宮 徹壱

1966年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」を追う取材活動を展開する。W杯取材は98年フランス大会から継続中。2009年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞した『フットボールの犬 欧羅巴1999-2009』(東邦出版)のほか、『サッカーおくのほそ道 Jリーグを目指すクラブ 目指さないクラブ』(カンゼン)、『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)など著書多数。17年から『宇都宮徹壱WM(ウェブマガジン)』を配信している。

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