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「ベッカム様」フィーバーから20年 ソフトモヒカン大流行、日韓W杯で社会現象の背景

ヴィクトリアとの交際発覚で英メディアが狂奔

 ヘアースタイルやタトゥーのブームも巻き起こした。1990年代後半から2000年代半ばにかけて、英国の若者たちがこぞってベッカムを真似た。ソフトモヒカンはもとより、坊主頭があれほどファッショナブルに受け止められたことに驚いた。英国中の繁華街にタトゥー・パーラー(気軽にタトゥーが入れられる店。床屋のような店構えが多い)がオープンして繁盛した。

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 最近では頭頂部が薄くなり、贅肉もたっぷりとついた40歳前後の男性たちが今でもズボンを低く履いてパンツを見せて歩き、首や肩や腕にチラッとタトゥーを覗かせているのを見ると、“ああ、ベッカム世代のど真ん中だ”と思う。

 そんなベッカム人気が英国で最初に化学反応を起こし、爆発したのは1997年のことだった。

 もちろん、それまでもマンチェスター・ユナイテッドの名将アレックス・ファーガソンがユースチームから見出した“クラス92”の一員で、名門クラブの若き右ウインガーとして頭角を現しており、サッカー界ではその名を轟かせていた。特に1996年8月17日に行われたウインブルドンとのプレミアリーグ開幕戦で、ハーフウェーライン手前から得意の右足を振り抜いてゴールを奪い、一気に全国区の選手となっていた。

 しかし、まだその時は“若手有望選手の1人”という存在だったと思う。ところが当時世界的な人気を誇った女性アイドルグループ『スパイス・ガールズ』の一員だったヴィクトリア・アダムスとの交際が発覚し、メディアが狂奔し始めた。

 当初はベッカムよりヴィクトリアの知名度が圧倒的に高かった。しかし世界的なアイドルの彼氏となったベッカムが極度のイケメンだったこと、そしていったん公となってしまうと、人目をはばからずにいちゃついた2人の熱愛ぶりが旋風(つむじかぜ)のように話題をさらって、『ポッシュ&ベックス』という名称が英メディア上で固有名詞として確立され、完全に時の人となった。

 ところが2人の交際が発覚した翌1998年、フランスW杯に出場したベッカムに悪夢のレッドカード事件が起こる。宿敵アルゼンチン戦で、狡猾なMFだったディエゴ・シメオネ(現アトレティコ・マドリード監督)に執拗にマークされ、悪質な反則タックルで倒されると、その体勢のまま故意に蹴り返してしまった。

 これが主審の目に止まり、一発退場。この試合、イングランド代表は10人のまま雄々しく戦い、PK戦の末に敗れることになったが、翌日の英各紙には「10人の勇敢なライオンと1人の愚か者」という見出しが踊った。

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森 昌利

1962年生まれ、福岡県出身。84年からフリーランスのライターとして活動し93年に渡英。当地で英国人女性と結婚後、定住した。ロンドン市内の出版社勤務を経て、98年から再びフリーランスに。01年、FW西澤明訓のボルトン加入をきっかけに報知新聞の英国通信員となり、プレミアリーグの取材を本格的に開始。英国人の視点を意識しながら、“サッカーの母国”イングランドの現状や魅力を日本に伝えている。

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