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十日町とクロアチア、日韓W杯から20年続く友情 選手も感動した市民数千人の見送り

十日町市の街中に貼られていたクロアチアのポスター【写真:宇都宮徹壱】
十日町市の街中に貼られていたクロアチアのポスター【写真:宇都宮徹壱】

なぜ「本命イタリア」からクロアチアに変わったのか?

「イタリアのコモ市と十日町が姉妹都市でしたので、最初はイタリア代表を考えていました。そうしたら仙台市に取られてしまって、打ちひしがれましたね(苦笑)。その後、7か国の協会が視察に訪れ、スペインとポーランドから仮予約を受けることとなりました。ところが、釜山で行われたファイナルドロー(本大会の組み合わせ抽選会)で、どちらも韓国に回ってしまったんですよ。これは困ったぞ、と思いましたね」

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 ファイナルドローが行われたのは、2001年12月1日。開催まであと半年というタイミングである。ここで助け舟を出してくれたのが、ポーランドの協会。日本側に回ったクロアチアの協会に「十日町の施設は悪くないぞ」と推薦してくれた。

「クロアチアの代表団が視察に訪れたのは、3日後の12月4日でした。ひと目見て『山の形が我が国と同じだ。ここにしよう!』と言ってくれました。たまたま、その日は晴れていたんですよ。もし大雪になっていたら、少なくとも即決はなかったでしょうね。ようやく、我々にもツキが回ってきたと感じました(笑)」

 クロアチア代表が十日町でキャンプを張ったのは、2002年5月20日から6月2日までの2週間。大会開幕後は、富山がベースキャンプとなるため、十日町は事前キャンプという位置づけであった。それでも、これまで外国人の団体を受け入れたことのない人口5万人の町が、てんやわんやの騒ぎになったことは容易に想像がつく。

 当時の資料によれば、クロアチア代表の関係者は選手含めて55人。海外からのメディア関係者が26人。ボランティアの登録者数は269名で、県外からの参加者も36名いた。これらに加えて、新潟県警をはじめとする警備関係者を受け入れなければならない。「嵐のような2週間でしたね」と、若山は感慨深げに振り返る。

「何がきつかったかと言えば、翌日のスケジュールが出るのが22時とか23時とかだったことですよ。いきなり練習時間が早まったりした時は大変でした。あと、選手の間から『こんなに警察官に囲まれるのは嫌だ』と言われた時も困りましたね(笑)」

 それでも終わってみれば、あっという間の2週間。そして別れの日、クロアチア代表を乗せたバスを見送ろうと、沿道には小旗を手にした数千人もの市民が集まったという。当然、選手たちは感動した。「これほどまでにクロアチアを知ろうとした人々を私は知らない。素晴らしいキャンプだった」と語ったのは、前回大会得点王のシューケルだ。

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宇都宮 徹壱

1966年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」を追う取材活動を展開する。W杯取材は98年フランス大会から継続中。2009年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞した『フットボールの犬 欧羅巴1999-2009』(東邦出版)のほか、『サッカーおくのほそ道 Jリーグを目指すクラブ 目指さないクラブ』(カンゼン)、『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)など著書多数。17年から『宇都宮徹壱WM(ウェブマガジン)』を配信している。

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