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日韓W杯16強は「最高の偉業」 トルシエが誇る日本での4年、成功を確信した試合とは

シドニー五輪代表の初陣で若手の才能を確信

 トルシエ氏が「幸運だった」と振り返ったのは、2000年シドニー五輪を目指す1977年から80年生まれのU-23世代の存在だった。いわゆる「シドニー五輪世代」には多くのタレントがひしめいており、フランス人指揮官は初めて同代表を率いた98年11月23日のU-21アルゼンチン代表戦(1-0)で、その可能性を見出している。

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「対戦相手は世界王者だった(※97年ワールドユースでU-20アルゼンチン代表が優勝)。親善試合だったが、若い世代が私に従ってプレーしてほしいようにプレーできると分かったこの試合は、私にとってとても重要なものだった。選手たちがくれる情報が、私のプロセスを継続させたのだ。日本にとっては新しいものだったが、私は成功を手にした」

 トルシエ氏の代名詞とも言える「フラットスリー」が、果たして当時の日本代表にとってベストな戦術だったかは分からない。実際に日韓W杯のグループリーグ初戦・ベルギー戦(2-2)では、高いラインの裏を突かれて失点を喫している。

 ただし、この挑戦的な守備戦術が伸びしろのある若手たちの探求心を刺激し、トルシエ氏の率いた4年間での世代交代を促進。選手1人ひとりの成長を導く一因になったことは間違いないだろう。日本代表を率い、日韓W杯で史上初のベスト16に進出したことを「とても誇りに思う」と語ったトルシエ氏。日本で過ごした4年間は、今もかけがえのない経験としてフランス人監督の脳裏に深く刻まれているようだ。

■フィリップ・トルシエ / Philippe Troussier

 1955年3月21日生まれ、フランス・パリ出身。現役時代はDFとしてプレーし、28歳で指導者の道へ。34歳でアフリカに渡り、5か国のクラブや代表チームを指揮し「白い呪術師」の異名を取った。南アフリカ代表を率いた1998年フランスW杯後に日本代表監督に就任。A代表と五輪代表を兼任すると、99年ワールドユース準優勝の“黄金世代”をはじめとした若手の才能を伸ばし、徐々に世代交代を果たした。2000年シドニー五輪はベスト8に終わるも、直後にA代表で臨んだアジアカップで優勝。02年日韓W杯では日本サッカー史上初のベスト16進出を果たした。その後はカタール代表やマルセイユの監督などを経て、近年は中国やベトナムで若手育成のプロジェクトを担った。

(マイケル・チャーチ / Michael Church)

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